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古利根川等、川筋の変遷のチェック(長さん)

前回、古利根川沿いの両岸調査を、ほぼ完了した趣旨の事を
このブログで記したが、念のため、古利根川の川筋自体が、
現在と中世とで、大きく変化して、い無いかどうかを、文献
でチェックした。

 言うまでも無く、元の利根川が古利根川になったという、
大変化はあるのだが、埼玉県の松伏町付近の川筋については、
余り大きな川自体の移動は、記録されていないようだった。

ただし、現在古利根川が合流した後の中川と交わる、元荒川
については、合流地点の比較的近所で、現在よりも大きく東
に、昭和の初期には蛇行しており、元荒川の川筋は、結局こ
の70年で大変化していたという、新情報を私は得た。
すなわち”埼玉県越谷市(丁目なしの)越ケ谷と、同越谷市
宮前は、現在では元荒川の東岸であるが、今からたった70
年前には、元荒川の西岸にあり、その周りをループ状に、
元荒川が流れていた”、との事である。すなわち、埼玉県
越谷市東大沢、同越谷市花田、同越谷市東越谷付近が、
第2次大戦、戦後まもなく、西暦1948年当時の航空写真
によると、元荒川の川中だったらしい。
 もっとも、恐らく中世には、(元)荒川は氾濫のたびに、
川筋が変わり、新方川付近の低地帯を中心に、蛇行して流れ
ていたのだろう。また古利根川の方も、”川筋を西に動かし
続けた”との情報が、webにも載っている位だから、今の
松伏町松伏~赤岩を中心とした、”台地”上に流れがあった
とは、考えにくく、今より西よりに300m程度づつ、やや
ズレて、すくなくとも流路の一部があったと、推定して良さ
そうな気がした。むろん、松伏町松伏”台地”の東側にも、
利根川は中世、複雑に自然な分流を、作っていたのかもしれ
ない。
 何れにしても、埼玉県越谷市東大沢、同越谷市花田、同
越谷市東越谷付近は、全体として中世には、広い地域が、
沼に近いような湿地だったのだろう。だから、ここに遺物が
あるとしても、これらの地域を中心に、広い範囲に自然拡散
した結果が、見えるだけのものであり、たとえば武蔵武士の
使った木製遺物の発見は、掘削したとしても相当に難しい、
”薄まった散乱物の捜索”と予想した方が良いように、私に
は思えたのであった。(2017/03/10)

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