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西暦1300年から1330年の30年で高麗は主権を回復している(長さん)

世界史をざっと調べれば判るが、13世紀の後半モンゴル帝国が、
元王朝を樹立して、朝鮮半島を制圧すると、高麗は元の属国とな
っており、宋代までの中国文化を吸収しながら、朝鮮文化を樹立
し、その影響が日本に及んでいる国との機能が、停止してしまっ
ていたとされている。少なくとも日本人向けに、日本人が書いた、
大人向けの教科書では、元が滅んで明代になるまで、朝鮮半島から
宋代以前の、古典的な文化の流入は、貨幣のような物量的なもの
と違って、精神的な物に関しては乏しく、元化された朝鮮高麗と
の交流になっていたととれる記載が、ほとんどである。
 しかしながら、意外だったが、在日韓国人向けに、ナショナリ
ズムを鼓舞する目的で書かれたとみられる、児童向けの図書には、
元王朝の支配下にあった時代の、高麗の国王に関する独立国家を
取り戻すための努力に関する美談だとか、それまでの朝鮮半島に
おける文化の保持・継承のために尽くした”英雄の話”といった
内容が、かなりのページを割いて、書かれているのに、私は調
べていて気が付いた。
 少なくとも新安沖沈没船の時代には、物量としての貨幣等の
中国産物が、大量輸入されるまでに、元王朝の朝鮮半島における
統制は変質していただでなく、

1330年頃に、それまで元の支配に抑えられていたため、モン
ゴル文化の浸透が主体だった朝鮮半島内には、国内に復古的な
もともとの韓国文化を保持・継承するための、学問所等ができて、
高麗国学が復活しつつあったと、とれる事象があるらしいと、
上記韓国人向け歴史児童書を読んで、私は最近になり初めて知っ
たのである。

つまり、1300年頃には、将棋文化で言えば、宋王朝から伝わっ
た駒数多数将棋より発生した、15升目や路盤程度を使うと見ら
れる広将棋の文化は、消えかかっていたのであろうが、1330年
頃に朝鮮半島の高麗国内に、学問所ができて、古典文化の復古が
始まると、高麗国内ではほどなく”日本に広将棋を伝承する”
程度までに、情報の保存が強化されたという事にもなるらしい。
だから、

西暦1300年なら無理だろうが、1330年ごろだと、新安沖
沈没船に、15×15升目盤を、積む事も可能なのかもしれない

と私は思うようになった。もともと西暦1300年から1330年
の間の30年間に、朝鮮半島と日本の間の交流は、いっきに盛ん
になったとは私は聞いている。西暦1300年から1330年の間
に、元王朝の朝鮮半島付近での支配力が、少なくとも精神のレベル
では、かなり低下したという事なのだろう。
 以上の事から、在日韓国人の子女向けの通俗歴史書を読んだだけ
なので、未だはっきりとはしないのだが、

ひょっとすると、西暦1330年頃沈んだ船に、後期大将棋用の
将棋盤が積んであっても、その、たった約30年前の、1300年
頃の、普通唱導集の大将棋の時代に、15升目の”韓国広将棋の
影響を受けた大将棋”が指されていたとは、限らない可能性もある

と、疑われるようなのである。(2017/05/09)

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