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江戸時代の暦学者、渋川春海はなぜ、碁の役人も兼ねていたのか(長さん)

日本では、飛鳥時代に設定された宣明暦が、古代後期、中世を通じて使われ、
次の改暦が江戸時代の暦学者、渋川春海によって、ようやく貞享暦として、
行われたことは、よく知られている。この事から、少なくとも渋川が暦学者
として、有能な事は明らかである。他方、この渋川春海が囲碁の名手であり、
元々は江戸時代に、会所を取り仕切る、役人であった事でも知られている。
私は囲碁に詳しくないため、意味は良くわからないが、囲碁盤の10十とい
う中央位置に、置石をする定跡を、提唱した事などで、確か囲碁史の方では、
有名だったように記憶する。なお、彼の囲碁好きが、半端で無いのは、
暦学者は江戸時代は、天文方の仕事もしており、彼は日本式の星図を作って
いるのだが、恒星の明るさを無視して、囲碁の石が繋がったような独特の、
恒星表現をしている事からも、証明されるようである。
 以上の事は、私も昔からよく知っていたが、囲碁盤の交点の数が361で、
一年の日付け365.2422日に近いので、囲碁と暦とが関連すると、
将棋史に興味を持ってから、漠然と考える程度で、最近まで来た。しかし、
ひょっとして、これは日本の遊戯史についての、あるヒントを含んだ重大な
事実が隠されているのではないかと、最近になって思うようになった。
つまり、

元嘉暦~儀鳳暦を導入するのでばたばたしていた頃が、日本人が囲碁を打ち
始めた、ひょっとして始まりの頃と、一致するのではないか

という、疑いが心をよぎったからである。ようするに、

日本のトップが「日本にも暦が必要だ」と言い出すと、日本では官僚等の家
来は、何時の時代の場合であっても、ほぼただちに忖度して、その時点で、
暦に関連する事柄は、皆急激に流行りだす

という体質が、なぜここまでなのかは、将来解明されるべき問題なのではあ
ろうが。
太古から日本の官の世界には、こうした忖度体質が現にあると、とりあえず
経験則として仮定すると、物事の始まりの時期というのは、特定できる傾向
が強いという特質が、日本での事柄の始まりの歴史については、経験法則と
して、有るのではないかと、思うようになったからである。ようするにこれ
は、同じ遊戯で、生物種で言えば、科までは同じ

将棋と囲碁とで、成立年代が、
飛鳥時代と平安時代後期というように、少なくとも日本では、大きくズレ
ているのは、不思議であるが何故なのか

という問いに対する答えを、渋川春海が示唆しているような、気がしてきた
という事である。つまり本来、

将棋は暦よりは、対外国戦争の方に事柄上、関連性が高い

と言うことなのであろう。たまたまだったが、白村江の戦いの時には、恐ら
く2人制チャトランガも無かった。しかし、元寇に比べればやや小粒だが、
かなり大規模な次の対外戦争であった、刀伊の入寇のときには、北宋とは
断交もしていなかったので、大理国将棋や中国のシャンチーなどは、中国交
易商人が日本に紹介できる環境だった。そして、都のトップである藤原道長
等によって当然、刀伊すなわち金王朝の前身の軍隊との、対外戦争の対策が
議論として提起された。
だから、そのときに、
日本の官、特に国境警備兵たちは、藤原道長という、隠居したばかりとはい
え、当時の実力ナンバーワンの人物の意向を、官は皆充分に忖度して、実は
彼らの間で、

野火のように、日本で始めて将棋が、流行始めた。

つまり、囲碁と将棋とでは、
暦の導入、対外軍事対策というふうに、

日本のトップが問題にしたカテゴリーが、たまたま全く違う事柄なために、
囲碁と将棋とでは、遊戯の種族がやや近縁でも、開始の時期は全く違ってし
まった

と私は推定した。以上のように昔から個人的にも名を聞いていた、渋川春海
という江戸時代の幕府役人の性格を見て、将棋に比べてとても早い、囲碁の
始まりの謎について最近、ようやく合点がいったような、気がしたのであっ
た。(2017/06/11)

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