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唐代玄怪録の将棋と疑われるものの”駒”は、何故2文字表記なのか(長さん)

前々回に、原始平安小将棋に象駒が無いにもかかわらず、玄怪録の創作話に
現われた、将棋を示唆すると思われる記載に、金象将軍の軍隊という、象駒
が存在すると匂わせる表現があり、玄怪録を南詔国時代の雲南の象棋を、元に
したものと考えると、象が存在する状態で、南詔国から大理国へ移行する
間に、象が消えなければならないので、論理的に思わしくない旨を述べた。
 なお、玄怪録で将棋を紹介する際、自国唐のシャトランジ型ゲームをさし置
いて、隣国南詔の象棋を、持ち出してきたのは、作者が対、吐蕃国、南詔国
政策に於いて、穏健・融和派の唐代指導者だったからだというのが、私の説で
ある。
 そこで、上記の問題を解明する第一歩として、以下の疑問について、今回
は、まず考えてみた。
 すなわち、中国のシャンチーが1文字表記であるにも係わらず、なぜ玄怪録
の”将棋類似物語”では、駒らしきものが全部2文字なのか。これをひとまず、
玄怪録の表現の範囲内で、推定してみる。結論をいつものように、先に述べる
と、

”金象将軍の軍隊”と表現する事で、作者が金将と象将という、将駒が2種類
存在する将棋を、物語の下敷きにしている事を、白状しているのだ

と私は考える。根拠は単純で、

”金象将”という3文字の将棋駒名を考えるというのは、”古時鳥”とか
”自在王”という駒名とは違い、作成する事自体、意味不明で不自然

だからである。つまり、

金将、象将を略して、金象将と表現した

だけなのではないのか。なお、金象将軍の軍隊の相手の、天那軍の天那は、中
国の星座に、天の字のつくものが多いため、実際には無いが、ローカルな星座名
としては、有りそうな名前であると、私には感じられる。元にする将棋が一種
なため、韻を踏むような、相手軍隊名称を、作者は考え出せなかったのだろう。

 そしてその結果、他の駒種も、馬、車、甲(卒)駒について、天、輜、六の
修飾詞を、2文字に揃えるために、作らざるを得なかったのだと私は思う。

なお、この天、輜、六という修飾詞は、特に縁起のよい字という訳でも、無い
ように思う。軍隊内での役割等をも表現する階級名について、中国では古代より、
二文字で表現して、細分化した、いろいろな階級を表しており、それらしい感
じを出すための、修飾詞の付与ように私には見える。そもそも、将棋の駒名で

2文字将棋駒の修飾詞というものは、それをプレーする時々の、競技の場の
雰囲気を盛り上げる為に、さまざまの事情で、臨機応変に考えるという性質の
もの

なのでは、ないのだろうか。つまり、兵は動かし方ルールが元だとして、日本
伝来オリジナル、原始平安小将棋の将棋盤が、超高級品で桂の木で良い香りが
した、という知見を、実際それを自分が目の当たりにした事があるという、
自慢話として表現するため、駒の命名者は馬には桂を、車には香を修飾詞とし
て使う、という具合にである。
 なお、シャンチーの私に言わせると元になったとみられる、アラブ・シャト
ランジは、玉が王、金将駒(副官駒)が、候というタイプの名称だったため、
中国語翻訳しても1文字になり、2文字化は、煩雑を避けるため、たまたま
しなかったのではないかと、私は考える。更に、シャンチーの成立時には、砲
が加わったが、これも1文字で表現できたため、結局シャンチーは、

中国軍隊流にしては、”珍しく”、1文字名の駒でプレーする、戦略ゲームに
なった

と考えている。
 さて玄怪録の将駒であるが、何回か前に私は、南詔国の3種の将駒について、

金将(今の玉将)、上将(今の金将)、象将(今の銀将)である

事に基づくという仮説を述べた。ただこう考えると、どうしても

象が消えて、銀になった理由

という考えに、縛られてしまうようにも思えた。もともとはっきりしない話な
のであるから、いっそ南詔国の3種の将駒について、

金将(今の玉将)、銀将(今の金将)、上将あるいは象将(今の銀将)

と考えてみたらどうかと、さいきんふと考えた。なおこの考えは、将棋研究家
の故・溝口和彦さんの説から、ヒントをもらった。後者の対応付けは、溝口説と、
よく合致するものである。
 つまり結局私は、”南詔国伝来前に、象が消える”という仮定を、あきらめて
しまった。

チベットで、象が僧に、特に変化はしなかったのであろう。

なお、少なくとも日本語では、”上”と”象”はローマ字で表現すると、”Y”
が入るか、入らないかで似ているから、ひょっとして、上将と象将は、南詔国
では、別名であって同じ駒種かもしれないと、溝口さん同様、私も思ったので
ある。そしてこうすると、前と違うのは、象が大理国時代に銀に変わったのでは
なく、唐から五代十国、宋の時代に移り変わるとともに、吐蕃国が衰退して、
西域で戦争が少なくなったために、大理国時代なると、ウイグルの和田(ホー
タン)から、玉が雲南に伝来しやすくなって、

玉将が、大理国の時代になって、始めて発生

して、以下、金と銀が一コマづつズレた、と考える事もできるのではないかと、
私は思う。すると、

”象将は、その結果余分になるのでハミダシて、消えてしまうのか”と考えた
くなるが、そこで私はふと、”ある事”に気がついた

のである。さてここから先の話は、別のカテゴリーになるので、以下は次回に、
この続きを述べたいと希望する。(2017/07/26)

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