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興福寺出土駒の酔象の不成りは、誰の発案か(長さん)

前に、興福寺出土駒の酔象の不成りの事実も含めて、平安大将棋の猛虎、飛龍の
動かし方のルールに関して、

人間を現さないと思われる駒の、平安時代の将棋の成りは、行き止まりになる
等の事情を例外として、不成りにする規則が有った

のではないかとの趣旨を、述べたことがあった。後退できず、行き止まりになる
ために、平安小将棋の桂馬と香車は、特別に金成りなのであり、平安大将棋では、
奔車と注人が、実質的に直ぐ下の升目に配列される、歩兵と、香車に抑えられて、
奔車は香車、注人は歩兵と、実戦での性能に大差が出無いために、金成りにした
という考えである。二中歴の大将棋の記載で、文末の書写ミス部分は、私の説に
よると、以上の内容に近い、何らかの成りのルールが、本来記載されていると
言う事になる。従って、興福寺の酔象は、象が動物であって、動かし方のルール
で左右に移動でき、かつ後退できる動きのルールであれば、大理国直伝の、
興福寺特有の変形原始平安小将棋の駒だとすれば、出土駒の形態通り、不成りで
確かに合っている。
 ところで、こうした成りのルールは、

誰が、日本人の棋士に教えたのだろうか。

 これについては、現時点では確定するのは困難な問いだろう。そもそも、

(1)興福寺出土駒の酔象は、成りのルールが判らないまま、単に作ってみただ
け。

だった可能性も、現時点では否定も出来ないように、思われるからである。また、

(2)上記で尤もらしそうな、動物駒の成りのルールは、日本人が、酔象を使っ
た時に、後付で考え出した

可能性も、特に否定は出来まい。ただ、この北宋商人が、”(ロ)象が何者かも
多分わからない大宰府の武士”に、詳しい話をじかに教えたくも無く、ごまかし
て銀将に交換し、(イ)藤原道長等の、ご機嫌だけを取りたくなるような、
(ハ)説明するのも、めんどうなルールは、

(3)大理国から、正しい大理国原始平安小将棋(右酔象有り)が、1050年
代に伝来した時に、文献等によって、成りのルールも日本人の棋士は、知った

可能性も有り得るように思う。根拠としては、北宋の商人が、象を銀将に改ざん
する理由付けとして、上の(イ)(ロ)の有りそうな理由に加えて、更に(ハ)
が、ダメ押しとして加わり、いっそう改ざんが、有りそうな話になるからである。
とすれば、こうした非人間駒・動物駒一般に拡張のできる、

上位概念で表現された、成りのルールが、大理国には存在した事になろう。

つまり、もしそうだとすると、大理国にも、一例を示せば、以下のような形の、
”10×10升目大理国大将棋”が、ひょっとすると10世紀に、少なくとも
西暦1050年までには確実に、存在したかもしれないと言う事になるかもし
れないと思う。

一段目:車、馬、象、銅、金、玉、銀、鉄、馬、車
二段目:空、龍、空、虎、空、空、虎、空、龍、空
三段目:兵、兵、兵、兵、兵、兵、兵、兵、兵、兵

これだと、日本の13升目制大将棋よりは見劣りするが、埼玉県美里町で出土し
た5色の宝塔に近い、タイのマークルック風の駒を1塔づつ、入れて、出土
5色宝塔の起源となったと、まさに言える、大理国大将棋道具風にする事も、
可能ではあると、いう事にはなる。
 さて個人的には、

興福寺原始平安小将棋の酔象の駒の動かし方は、平安大将棋の”猛虎”と同じ、
”斜め4方に隣接升目に、一升目程度行ける”で有れば最低良く、不成りでも
ゲームに、大きな支障はきたさない

と私見する。出土駒が、”間違った酔象”である、可能性は少なかろう。何れ
にしても、外国の将棋ゲームの、ルール情報まで含んでいる可能性が有り得る
ため、

興福寺の不成り酔象出土駒は、最大限の注意が必要な遺物に、間違いないもの

であると、私は考えている。(2017/07/29)

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