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成りを、駒をひっくり返して表現したのは、誰が最初か(長さん)

最近、元の将棋博物館の館長、木村義徳先生(将棋の棋士として九段)の、
「持駒使用の謎」日本将棋連盟(2001年)を読見直してみて、
このブログに私が今まで書いた事と、異なる見解の中で、最も私が気になる
のが、表題に書いた事であると感じた。

持駒使用の謎によると、駒をひっくり返して成りを表現したのは、タイ居住
のモン人が最初、との旨書いてある

ように、私には読み取れる。私の説では、

それは日本人の発案であり、恐らく西暦1010年代前後の、大理国から
将棋が伝来した時点での、九州大宰府、条の御坊の僧侶が、ひっくり返した
とき、表示された字が違えば、成りが表現できるとの着想を元に、経帙牌の
裏に、成りの駒名を書いた、五角形の駒を発明したのが始まり

である。私は、持駒使用の謎から読み取れるような、タイの原始マークルッ
クのピア駒のひっくり返しにより、成りを現すという情報が、日本に伝来し
て、日本将棋駒の成り表現が、成立したという事実は、無いと思う。理由は、

タイのモン人の将棋駒は本来、厳格な仏教徒だったために、写実駒である。
そして彼らの将棋駒が抽象化し、兵駒が、貝のような抽象的な形に変化する
最初のチャンスは、相棒のタイ人が、中国雲南省で、蒙古帝国が派遣した
イスラム教徒の提督に支配される、13世紀までは、全く無い

と考えるからである。モン族の海岸都市国家は、日本に原始平安小将棋が
成立した11世紀の初頭は、インド・ヒンディの影響を受けてはいても、
イスラムの影響は無いし、彼ら自身は、厳格な仏教徒だったはずである。
そのため、当時の彼らの、インド・チャトランガに近い象棋の駒は、抽象化
していたとしても、高々、増川宏一氏の「将棋Ⅰ」に、写真が載っている、
ミャンマー・シットインの、兵駒程度に留まるのではないかと私は思う。
なお、同書の写真によると、シットインの増川宏一「将棋Ⅰ」で紹介されて
いる、シットインの兵駒は、”樹木”のように、私には見る。だから、ひっ
くり返して使うのは、貝の形と違い、かなり難しいように見えるのである。
 従って、たとえ13世紀に、タイでマークルックの貝駒をひっくり返して
成りを現すというアイディアが発生したとしても、日本で成りを裏に字を
書いて現すことは、出土駒として西暦1058年頃より行われているから、

タイの方が明らかに後発であって、日本人が最初の発明者と見るべき

である。タイの将棋の駒の成り表現方法の発明は、独立に後日行われた
可能性は否定できない。が、山田長政の活躍した16世紀に、日本の移住者
から、タイ人の方が、そのアイディアを教わった可能性が、むしろ強いの
ではないか。
 そもそも、日本の将棋は”金と玉を除いて、敵陣3段目に入ると皆金に成
る”というルールから出発しているため、その表現方法は最も難しく、裏返
して成るというアイディアの発明の恩恵は、最も大きい。よって、その

発明自体が必要性から、日本人自身の手で行われたという可能性は、相当
に高い

と私は見る。
 思えば私のこのブログも、私の非力で、世の中に対する寄与は、今の所
ほとんど無いと自己評価する。が「日本人の文化は所詮、元をただせば、
ほとんど外来」だと諦めておられる諸氏に、今述べた最後の記述が、
いくばくかの力になれば、このブログの存在価値も、多少はあったかなと
感じる今日この頃である。(2017/08/02)

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