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中国シャンチー。交点に駒を置くルールになったのは何故(長さん)

中国シャンチー、朝鮮チャンギ、沖縄シャンジー、ベトナムの象棋は、
良く知られているように、日本の将棋や西洋チェスと違い、駒は升目
の中に置くのではなく、路の交点に置く。なお、元を辿れば、中国シャ
ンチーが、これらのゲームの出発点だというのが、今の所定説なよう
だ。そこでここでは、仮に中国シャンチーの駒の、配置の仕方のみを
問題にする。今回の設問は単純で、シャンチーでは駒を交点に置くよ
うになったのは何故か、というものである。ただし今回は、最適解で
はなくて、

本ブログの、固有な見方

について、紹介するに留める。シャンチー史が、本ブログのメインで
は無いから、このブログの説が広まることは、当座余り期待していな
いからである。そこで、とりあえず、先に結論を書くと、ここでは、

”中国では囲碁が盛んな為、象棋の駒も交点に置く”とは見て居無い

という点に、このブログの特徴がある。つまり本ブログでは、

都の条里が、直接的に、盤のデザインのモデルであると見ている

と、言う事である。つまり、
中国シャンチーは、中国の都市部、恐らく都のど真ん中で発祥した
ゲームな為、日本の京都ような、規則正しい碁盤目の道の中に、駒を
置く形式になったと、見ているのである。なお、11世紀の北宋時代
には、中国シャンチーの元の、北宋象棋は、チェスや将棋同様、駒は
升目中央置きだったという説が、現在の所強いと私は聞いている。
 本ブログの推定では、駒の交点置きと、九宮の発明は、さほどの
時間差が無いのではないかと思う。そもそも、京都のような碁盤の
目の街の中で、真ん中に小さな川が流れているとはいえ、日本の南北
朝時代のように、皇族が南北に宮を作って分かれて争うような、盤構
成は、実際の日本の南朝が、吉野に都を移したことから見ると、

それよりも更に合戦の距離のスケールが小さく、都という、狭い空間
の中で暮らしている、中国シャンチーのゲームデザイナーの、個人的
な心の世界観を良く写している

ように、私には見えるのである。
 従って、この事から、中国には

地方に別の象棋型ゲームが、シャンチーとは無関係に、北宋期には
存在していたのが、むしろ当たり前

だとも思える。そもそも、

雲南には、北宋とは別の、大理という国が存在していたのだから、
雲南の大理の、金回りの良い王室で、都の開封には無関係に、別の
王室専用のような象棋が有るのは自然

なのではないだろうかと、私は思う。

以上が、本ブログの基本的な、中国の古代象棋文化に対する見方

である。
 なお、中国シャンチーが都会で流行のゲームであると言うことは、
地理的には中国から遠くても、

都会の人間に、最も興味のある、科学技術文明がその時点では最も
進んだ国、イスラム・アッバース朝の、イスラム・シャトランジと、
最下段の帥/将周りの駒の、動かし方のルールが、全く同じゲームを
している事からみても明らか

なように、私には思える。前に述べたが”グローバル化に付いてゆく”
と、己の生き様を表現しながら、その実は、ローカル文化の吸収を
否定し、列強国の文化のみを選択的に吸収して、それに追従して行く
というのが、時代や民族文化に無関係な、都会人の一般的な特徴だか
らである。
 他方定説については、中国の囲碁文化の歴史の古さは、良く知られ
ているので、駒を交点に置くという点から、囲碁の影響との論が出て
くるのであろう。が、むしろ私は、

敵味方同士にしては妙に接近した、二つの九宮が有る、いわば首都の
真ん中で生まれた少年の、心の世界地図のように盤構成を見る方が、
シャンチー系ゲームの盤意匠を、より正確に把握したもの

ではないのかと、個人的には考えているのである。つまり交点置きは、
都での人や馬車の通行、往来の仕方を模したものであって、囲碁とは
直接には、繋がっていないのではないかと、私が考えているという事
である。(2018/02/14)

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