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猪俣の百八燈は仮説普通唱導集大将棋の駒数百八枚と関連するか(長さん)

前に、埼玉県児玉郡美里町で、五色宝塔が発見された話をこのブログでした
際、近くで武蔵武士の一党、猪俣党にちなんだ、猪俣の百八燈という行事が
行われている事を指摘した。これはwebで簡単に調べられるが、百八の燈
を、現在では月遅れのお盆に、一定の決まった場所に、まずその数の塚を作
り、そしてそれに立てて、先祖供養をするものである。そして燈が百八ある
のは、除夜の鐘の数と同じく、煩悩の数を表しているとされる。
 そこで、同じく除夜の鐘の数にちなむと、私が指摘した、私の13×13
升目108枚制の普通唱導集大将棋と、この室町時代から600年余り続く
と伝わる、猪俣の百八燈とが、実際には関連があるかどうかと、いう事にな
るかと思う。
 前に指摘した通り、美里町とその近くの本庄市は、児玉党、猪俣党という、
南北朝時代には、武蔵北白幡一揆に所属し、関東管領、上杉憲方の号令で、
西暦1381年に、小山義政を攻めて勝利した、武蔵武士の主な居住地区で
ある事が知られている。そこで、五色宝塔の所で、私が想定したように、
”小山義政から教わった、14世紀初期型の大将棋の将駒の数にちなんで、
5色の宝塔を作成”し、更には、”小山義政に教わった、大将棋の駒の数
108に基づいて、先祖を祭る、法事を行ったのが、猪俣百八燈の起源”
という理屈を、考える事も一応はできるかと思う。
 その線で、猪俣百八燈に関する、108という数字が、将棋の駒の数を
匂わせる、その他の証拠について、今回は一応の調査は行った。結果を書く
と、現代の「数の事典」の類を、いくつか紐解くと、108が除夜の鐘の数
である点については、大概の辞書にあった。そして、108という数字につ
いて、詳しく書いてある辞書を、寄せ集めてチェックすると、「仏教の
108煩悩」が、大半は何れも元であって、百八炬火の項目の中に、個別例
として猪俣の百八燈があり、一般に百八炬火も、108は煩悩の数が元にな
るとされていた。そして、

百八炬火は、埼玉県だけでなくて、中部・関東・東海の所々で、盆の時期に
行う。

と書かれたものがあった。だから、残念ながら、埼玉県美里町の猪俣の百八
が、小山義政からの情報が元だとしても、他の中部・東海地方等の、盆の時
期の百八炬火が、何を根拠に、何時誰から教わった数なのかを、別途説明す
る必要が、ありそうであった。
 つまり、室町時代からの約600年という事のため、猪俣百八燈は、
小山義政の乱起源と仮定して、時代としては、だいたい合いそうなのだが、

別地方の南北朝時代の百八炬火を、埼玉県美里町の猪俣党の当時の一族が、
108であるという点で模倣しただけ

の可能性を、完全に否定するのは難しいという事だと、いう事になった。で、
普通は、これで行き詰まって、調査は終わりとなるところなのであろうが。
 実は個人的に、私は以下のように、面白いことを知っている。
 すなわち、神鳥谷曲輪駒が出土した、栃木県小山市神鳥谷と天神町の境か
ら3~400m位北の所に、小野塚記念館という、煙突の立った建物が、
残っている。元々醤油屋さんだった旧家が、跡取りが無く、廃屋になった後
に作られた、小山市の施設である。が、その庭のど真ん中に、

10年ほど前まで、屋敷稲荷が置かれていた。

現物は、私も拝見させて頂いた事が有る。今は撤去されて、記念館庭には存
在しない。
稲荷.gif
撤去された詳しい経緯は、このブログには、ほとんど関係しないので省略する
が、この稲荷を撤去しようとした所、小野塚家の家屋全体の保存を目的とする
市民団体”小山市のまちづくりを考える会”の、代表を名乗る、

猪俣党の支族で有名で、埼玉県児玉郡美里町にも大字地名として残っている、
某苗字の方から、なぜか猛烈な文句が市宛に送られた

と、当時の地方新聞で私は読んだ。なお、私は一度だけ、埼玉県ではなくて、
だいぶん以前から、御家族ともども、栃木県小山市に御住まいの、その代表
の方と、小山市立博物館にてお会いした事があった。御本人の苗字が、埼玉
県美里町の大字地名に有る訳ついては、残念ながら聞きそびれたが、小野塚
家の大正時代の、元小山町町長の服の特徴について、御話されていた。なお、
武蔵武士、猪俣党は横山党と互いに親族で、本姓は”小野”。他方一般的に
”塚”の着く苗字は、代々一族の墓を守る惣領家の意味であると、聞いてい
る。ここで、

屋敷稲荷の土台部分は通常”塚”の意味であるから、猪俣の百八燈の灯火台
と、ほぼ同じ意味

であり、美里町に苗字と同じの地名の有る方の、稲荷を撤去した事に対する、
尋常でない怒り方は、記念館の300m南の、小山義政関連の将棋駒遺跡と、
”小山市のまちづくりを考える会”等の方々の御先祖との間の、なんらかの
繋がりを、示唆するものなのかもしれないと、私は推定している。
 なお当の小野塚記念館では、しばしば小山義政の乱を含む、中世の下野の
歴史に関連した講演会等が、行われている場所のようで、いまも因縁めいて
いる。
 上記のように結局私は聞きそびれてしまったが、記念館を建てる元となる

小野塚旧家の保存活動をされた方々から、稲荷を撤去した怒りの、本当の訳
を聞き取れれば、

猪俣百八燈に関しては、百八の数字が、小山義政よりの情報起源である事を、
あるいは証明する手がかりが、ひょっとすると期待できる可能性も、全く無
いとは言えないのではないかと、一応期待はしているのである。(2017/07/04)