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増川宏一著、将棋Ⅰのシットインの仏像駒(長さん)

以前、日本に伝来した写実的立体駒を用いた原始平安小将棋の玉・金・銀
は、一例として、仏像のような形で、それぞれの素材が、玉(ホータン玉)・
純金・純銀であったろうと述べた。そして仏像で、”将”という名称の駒が、
表現できるのは、発祥地の大理国の王・副官等が、仏教が盛んであるため、
しばしば、第一線を退いたのちに、仏門に入って僧侶になり、やがては仏
になるという、観念から来るのではないかと述べた。以上はそのとき、
現物として何か根拠を示して、述べたものではなかった。仏像で、将棋駒
を表現した例が、そのときには、特に私には思い当たっていなかったのであ
る。ところが最近、今まで何回も引用した、表題の増川宏一著、
「ものと人間の文化史23-1 将棋Ⅰ」法政大学出版局(1977年)
に、その例が、写真で載っているのに、やっと私も気がついた。現物が残っ
ているミャンマーのシットインの駒に、大王と、司令官(副官)が、仏像の
例があるようだ。

この事から、仏教が盛んな国の、王や司令官(副官)が、僧や仏と、同一
視される例がある事は、そのような駒が実際に有り確かである。

ただし、言うまでも無く、そのミャンマーの駒は、大王と司令官とで、別の
貴金属素材で、仏像型を形成していない。だから、ミャンマーから、玉駒と
副官駒が玉将と金将である、日本の将棋の源が、やってきたとは、考えら
れないと思う。なお、岡野伸氏自費出版の「世界の主な将棋」(1999年)
によると、シットインは、ミャンマーがバガン朝の時代に、モン族の都市国
家タトンをミャンマー側が11世紀、日本に既に平安小将棋が有った時点で
攻撃して、降伏させ、モン族をミャンマーのパガンに強制移住させたときに、
モン族から伝わったという、伝承があるという。つまり、シットインは、
比較的タイのマークルックと、民族的に関連性のあるゲームとの事である。
 それにしても、私は上記の、増川宏一・将棋Ⅰは、何度も見ているはず
なのだが、東南アジアの将棋駒の写真の、少なくとも一部の内容を、みごと
にスルーしていたとは、なんとも情けない話だったと、気がついて相当ショ
ックを隠せなかった。(2017/08/01)