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将棋Ⅰに記載された、チャトランガの変化(長さん)

前回、チャトランガの副官駒が、9~10世紀には玉将~酔象~金将程度の
動き。それが、アラブ・シャトランジから、ルールが逆輸入されて、現在で
は、平安大将棋の猛虎、猫叉の動きとして伝わると述べた。
 その後、この件に関しては、それに関する情報が無いようだった。そこで、
この副官問題については一旦置き、増川宏一著「将棋Ⅰ」法政大学出版局
1977年に、少なくとも端方3種駒の変化について、書かれている事を、
読み直す、作業から私は始めた。その際、現在では四人制チャトランガは、
11世紀に発生したと、論が大きく変化している。ので、増川宏一氏の
上記著作本のチャトランガ関連のルール記載で四人制に関連する、私が前回、

四人制生成期二人制チャトランガと表現した、四人制から類推されるルール
は、最初期の1世紀とか3世紀のルールではなくて、10世紀のルールと
読み替える事が必要

とみられる。以上の点のみ注意すると、次のように読み取れるようである。

(1)西暦800年~900年ころには、”象”は、飛車の動きであった。
   ただし、この頃の観察された象は、端位置に有ったのかも、しれない。
   すなわち、象については、北朝鮮のチャンギと同じで、配列そのもの
   も変動した。
    以下私の想像であって、同書には記載されて居無いが、車は動きが
   ダブってしまうので、この頃は飛車の動きではないと見られる。
   また、増川宏一氏は、次のようにも述べた居る。
    インドより北の地方や、南インド南端地方の、駒の配列が同書では、
   紹介されていて、北の地方については、その地方にだけあるの駱駝を、
   仮に車と読み替えると、結局、全インドについて総合すると、北朝鮮
   チャンギのように、象・馬・車は、取り得るパターンで、いかように
   も、位置が交換された。

(2)恐らく西暦900年~西暦1000年までの象は、象駒の位置に有り、
   象は角行の動きと見られる。なお、この時点で馬駒が八方桂馬ではな
   くて、桂馬。車駒の位置に居る車が、飛車ではなくて、猛牛に近い動
   きだった。時代から見て、これが恐らく、四人制生成期二人制チャト
   ランガであった。

(3)西暦1000年~西暦1048年までの象は、恐らく象駒の位置で、
   銀将の動きであった。

(4)15世紀頃、ビクマデイテイア王の物語に出てくる将棋の話によると、
   動かし方のルールは、増川宏一「将棋Ⅰ」の内容からは不明だが、
   象の位置が、副官駒だったという。そして、象駒の位置には、将が、
   馬駒と車駒の位置に、馬と、車ないし舟が、置かれていたらしい。

 なお私は、増川氏の、法政大学出版局の「チェス」を、まだ読んで居無い。
(3)の時点での、馬駒と車駒のルールが、八方桂馬と飛車の動きと、
恐らく書いてあるのだろうと、木村義徳九段の「持駒使用の謎」の論旨から、
推定出来る。
 少なくとも、1977年版の「将棋Ⅰ」からは、以上の内容程度しか、
読み取れないと、今の所私は考える。
 そこで、ごくマクロに、象・馬・車の1段目端方3枚組の駒の中身を考え
てみると、以上の増川宏一「将棋Ⅰ」(1977)の以上の私の整形情報に、
間違いが無いとすれば、象・馬・車の1段目端方3枚組の駒の変遷には、

ゲームの質を決定的に変える要素は、何も無いと私は思う。ようするに、
飛車か角行の動きのどちらかが、片方のプレーヤーに、常に2枚づつ、
存在する状態が、継続しているようだからである。

むろん、角行駒は早攻め駒だし、飛車駒は決定打を相手に与える駒であると
いう違いはある。しかし、その交換は、少なくとも私に言わせると、

副官駒を囲いの能力を持った、多方進み駒から、その能力がより弱い、少方
進み駒に変える効果の方が、上の変遷の効果よりは、かなり大きい

と思う。むろん、飛車角を両方加えて、一方の攻め走り駒を、4枚にしたり、
更に、奔王駒を加えれば、ゲームは大きく変化するだろうが、飛車角駒を両
方加えたり、更に、奔王走り駒を加えるような事を、保守的なのか、
インド人は、約1000年間、全くして居無いと疑われるような内容である
というのが、増川宏一「将棋Ⅰ」記載のルールを読んだ、私の感想である。
ひょっとすると、

副官駒にお付き合いして、象駒が、玉駒と合計で、3種類の将駒に変わった
事以外、チャトランガの変化と、日本の将棋との間には、特に注意すべき
重要な関連性は無い

のではないかとさえ、増川宏一「将棋Ⅰ」の上記記載だけからは、私には
疑われたのである。(2017/08/05)

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