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豪族の館跡の検知方法(長さん)

 現在の駒数多数系将棋の出土状況を見ていると、寺院または
その跡、神社や豪族の館跡で、将棋駒が出土している、という
事実がある。このうち建造物が現存せず、跡である場合、それ
が実在した場所を、確かに発掘しているのかどうか、推定する
必要がある。古文書や前の調査等で、もとの建造物の存在が、
確定的である場合は、問題ないとしても、先に述べた下河辺氏
本家の館跡のように、その場所そのものが特定できない場合は、
どうアプローチしたら良いのだろうか。
 この点に関しては遺跡発掘の専門家の間では有名なようだが、
私が前に講演会で聞いた話では、城跡は、現在の道路の様子か
ら、場所が推定できる場合が、あるそうである。私が聞いたの
は、栃木県の小山氏と同族で、長沼宗政を祖とする、長沼氏の
栃木県内の城跡の発掘の際の、城跡の位置推定の話についてで
ある。古地図の館を示す地名と、今も余り変化していない、
現地の曲がりくねって、ヒトデのような形の道路の走り方から、
戦国時代タイプの平地の城の存在を推定して、みごとに合致し
た例と聞いている。
 実は少し前に述べた、栃木県小山市神鳥谷曲輪の、角行駒が
出土した遺跡から、小山氏の中心館の距離、”約1km”は、
現在の小山城(祇園城)本丸(本多正純・江戸時代の城)から
の距離ではなくて、小山市八幡町1丁目の小山第2中学校のグ
ランドからの距離で、私は示している。観光地・祇園城本丸か
ら、神鳥谷曲輪遺跡までの距離は、これより少し遠くて、
1.7km位である。ただし、他の出土駒の遺跡もそうだが、
出土地点と、本当の主な建物までの地点は、遠くて1km程度
が、普通なのではないかと、私は思っている。
 このグランド周りの道路付きには、謎があり”航空写真から、
このグランド付近が、ホントの南北朝時代頃の中心館”との指
摘が強いのである。すなわち、栃木県小山市の市街地図を、
たとえば、GOOGLE地図等で見てみると判るのだが、道路
が、だいたい思川と略平行に走っている。ただしその向きは、
地理的南北線や東西線と平行ではなくて、これらとは傾きがあ
る。ところが、この八幡1丁目8番地の場所に、思川と平行及
び垂直に走った道路で、長方形ができる区画の中に、東西南北
にきっちりになるように、それより少し小さな長方形を内接さ
せて、はめたような、幾何学的に奇妙な向きで道路の走った領
域が、1箇所だけ有るのに、おそらく誰もが気がつくのではな
いだろうか。この”誰もがWEBで判る、秘密の城跡”こそが、
地下を掘ると鎌倉古道付きの道が、皆そこに収斂すると言われ
る、小山氏の本当の中心館跡、”龍ゲ岡城”跡であると、言う
事のようである。
 なお、龍ゲ岡城跡が、このように考古学的に高い位置づけに
なっている事については、小山市当局には当然察知されていて、
どうやら公然の秘密になっているようだ。つまり以前から、
学校のグランドや、青少年相談室等、市が直接管理する土地に
全部、”それとなく編入(地上げ)”されているようである。
 なお私は、この地図上の幾何学状の道路が、実際にどうなっ
ているのかを、以前実際に見に行った事がある。

内側の長方形道路も、外側の川と平行な道路も、ごく丁寧に、
きれいに舗装されていた。

 つまり市はこの”陰陽道に従い、きちんと東西南北に作られ
たような道路”自身も、遺物として重要である事には、とうの
昔に気がついていて、道路を”知らない人間から見ると、誠に
不自然に”全部舗装して、現状保存しているのである。そして、
この小さな長方形の中が、北の一部の区画を除いて全部、中学
の学校の校舎から”不自然に”離れた所に作った、運動場にな
っており、現在グランドの中に建造物は、全く建っていない。
 なお、この地点の調査は、恐らくまだ充分には、行われてい
ない。他方、神鳥谷遺跡の発掘報告会等に於いて、小山市の担
当よりは、小山氏の中心的館跡の推定地点が、このグランドで
ある事は、発掘報告会の説明会で事実上、公開されたに等しい
説明がされていて、公然知られた状態と、私は認識している。
 ちなみに仮にこの地点が調査されたとすると、祇園城の発掘
や神鳥谷曲輪の発掘結果から察するに、大量の”かわらけ”等
の他、

 中国、明時代等のかなり高価な陶器・磁器の少なくとも破片
が出土する事は、ほぼ確実視されるように、私見される。

結局、栃木県小山市の龍ゲ岡跡を、仮に急いで調査したとして
も、祇園城、神鳥谷曲輪と同一パターンの発掘になるだけであ
り、ただし、鎌倉古道はここが終点なので何も無く、従って特
に、急いで発掘は、しないのだろうと、私は了解している。
 ついでに言うと現在は、この区画の直ぐ西まで、思川が侵食
し、西の袖が、城にしては妙に狭くなっている。南北朝時代に
比べて、かなり城の西側が、川に削られてしまっているのだろ
う。
 従って以上のように、将棋駒等を出土させるためには、主館
跡や寺院の、主伽藍等を特定させなければならないが、それが
あるかどうかは、別途発掘した後でなければ、不能と言う訳で
もないようだ。
 つまり、その井戸跡等の付近1km以内に館が有る、という、
古地名の示唆情報、および、”現在の道路・農道等”に、
”異変”が無いかどうかを調べて、それらがすべてそろえば、
その地点から1km以内のその古井戸の跡から、木製品の出土
が、地下水脈の存在によっては、期待できるという事が、どう
やらありえるようである。(2017/01/23)

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