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日本の大将棋の升目数は、北朝鮮の広将棋の路数の影響か?(長さん)

先に半澤敏郎先生の童遊文化史に、大将棋と広将棋とが、同じ物との
記載があるという、文書の存在を、このブログで述べた。が更に、
岡野伸さんが自費出版した、「世界の主な将棋」(1999年)の、
チャンギの歴史と現状の所で、荻生徂徠の広将棋でも、中国北宋時代
の晁補之の、19×19路98枚制の広将棋でもなく、北朝鮮の
古象棋の広将棋という、第3の広将棋が存在し、しかもこれについて、
このゲームの路の数が、後期大将棋の升目数の、根拠となっている
のではないかという点を示唆する、重要情報を述べられているのに、
ようやく昨日私は気がついた。「世界の主な将棋」記載に沿ってのべ
ると、以下のような趣旨となる。
 朝鮮版の広将棋については、北朝鮮のチャンギが掲載されている本
の中に、一部で紹介されている。たとえば「雷淵集」によると、西暦
900年代から1392年まで続いた高麗時代に、その広将棋があっ
た。盤は縦(筋の数)が14、横(段数)が15(段)。宮に当たる
と見られる内営があるほか、上軍、中軍という、駒の段組とみられる
ものがある。詳しいルールは、残念ながら、記録が無いようである。
従って駒は、升目の中ではなくて、交点に置くタイプが指された
時代のもののようである。岡野伸さんは中国象棋の所で、日本の時代
で、平安中~末期の時点で、シャンチーが、将棋のような升目の中置
きタイプから、交点置きタイプに変化し、それが中国と朝鮮半島へ、
広がったとの旨、紹介されている。従って、上記”北朝鮮の広将棋”
は、鎌倉時代初期~末期のころのものとみられる。そしてこのゲーム
は、日本の大・小将棋間の関係といっしょで、駒の数がチャンギより
も多く、ルールが普通のチャンギよりも複雑である。なお「このゲー
ムは後に日本にも伝来した」と、上記朝鮮の文献には記載されている
という事らしい。
 以上の岡野さんの「世界の主な将棋」の記載をまとめると、つまり、
大将棋は、14筋15段のチャンギの仲間の、北朝鮮チャンギ類の
広将棋という、古い時代のゲームとの、関連性が疑われ、江戸時代の
著書には、「同じ物である」と断定するものも、あるという事に、
どうやらなるようである。

二中歴の平安大将棋の記載には、「13升目の将棋である」と明確に
記載されているにも係わらず、後期大将棋が15升目なのは、あるい
は、鎌倉時代末期程度に、北朝鮮の広将棋が伝わり「これが中国北宋
時代の、シャンチーの類の広将棋である」とされると「平安大将棋が
13升目である」との、二中歴の記載は無視され、「大将棋は、中国
北宋広将棋である」との、鎌倉時代末期時点での日本の伝説に従って、
升目の数だけを、とりあえず大将棋について、チャンギ系広将棋の
15升目に手直ししたためではないかという事に、あるいはなるのか
もしれない。

私見では、鎌倉時代末期、西暦1300年頃の普通唱導集の大将棋は、
13×13升目盤だとする、私は少数意見論者である。が、13を、
15に変えても、文句が出ない根拠が、いままで、もやもやとしてい
て不思議でならなかった。しかしそれが、なんと外国のゲーム、チャ
ンギの歴史に関係があったとは。今、この情報にとても驚き、貴重な
ものと、関心しているところである。(2017/03/23)

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