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遊学往来(西暦1372年)には、将棋、大将棋、中将棋が有る(長さん)

以前、岡野伸さんの、中将棋の記録(一)(2004年)にも書かれた、
「遊学往来」で、5月7日の状に、「大将棋、中将棋のみで、小将棋の
記載が欠落している」と、このブログで書いたが、

岡野さんの著書を、私が読み間違いしたものだった。

 もう一度、岡野さんの文を読むと、古文書からは、はみ出ているが、
岡野さんの文で、将棋、大将棋、中将棋が記載されている旨書いてある。
別の文献の「遊学往来の紹介」でも、同じ内容を確かめた。この「遊学
往来」には、長い名前の、双六の記載もあり、南北朝時代の大将棋は、
その時点で古典的、かつマニアックな、ゲームと見られていた事をも、
示唆しているように思う。

後期大将棋は、南北朝時代には存在したが、私見では、その数十年前には
13×13升目104枚制程度の、普通唱導集大将棋が、ときのエンター
ティナーによって、対局されていた。そして普通唱導集大将棋から中将棋
へ、その後数十年で改善され変化した結果、中将棋が成立すると、ほぼ同
じくして、別の大将棋、すなわち15×15枚目130枚制の後期大将棋
の形に、大将棋も”朝鮮の14×15路(駒数不明)制広将棋に習って”
整えられたのだろう。しかし、後期大将棋や、それと同時に現在に近い形
に少なくとも、初期配列までは作られたとみられる摩訶大大将棋は、事実
上以後、ほぼ形式的にのみ存在し、ゲームの出来が、大駒の割合を上げ、
師子の規則を、たくみに作成した中将棋よりも劣るため、中将棋のように
盛んには、指される事は無かったのであろうと、私は見る。

 以上のように遊学往来に従えば、南北朝時代には少なくとも中将棋が成
立し、室町時代前期以降、飛車角が持ち駒将棋に組み込まれてそれを凌駕
する、日本将棋が成立するまでのしばらく間、主流の座に納まったと見て、
確かに間違いがないように私にも思えた。(2017/03/27)

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