So-net無料ブログ作成

異制庭訓往来の”多い”将棋の正体(長さん)

異制庭訓往来の将棋の説明で、”少ない”将棋は、その駒数については、一応
9×9升目36枚制標準平安小将棋と合っている。私見だが”玉や金・銀まで
獣の例(または列位)”を形どっているのは、書いているのが臨済宗か天台宗
の坊さんであるから、仏教の”戦をする人間は畜生の類”との感覚から、かも
しれない。それに対し、その十倍の、”多い”将棋は定説では、摩訶大大将棋
か泰将棋か、である。この”定説”は、私見だが、江戸時代からあり、栃木県
小山市出土駒は、江戸時代に、この”定説”に基づいて、なんらかの土地の
伝承の復元のために、製作されたものと、このブログでは考えている。
ただし、本ブログでは、恐らく、

摩訶大大将棋や泰将棋は、西暦1350年頃の、異制庭訓往来の時代には無い

と考えている。数十年程度、早すぎるのではないだろうか。
摩訶大大将棋は形状から見て、後期大将棋と同一年代作成であり、後期大将棋
が普通唱導集時代の大将棋ではなくて、曼殊院将棋文書作成期、西暦1443年
より、少し前に作成の将棋、と考えているのである。また、泰将棋は水無瀬
兼成の作成した、安土桃山時代の将棋というのが、今の所このブログの見方で
ある。では、異制庭訓往来の、盤升目数か駒数が、365.2422に近い将棋、
というのは、具体的には何者か。むろん、以上は確定するのは難しい問いである
が、

中国北宋期の、19升目98枚制の広将棋か、高麗の終わりごろのものかとも
見られる、朝鮮の15列×14段広将棋といった、外国の将棋を指す疑いも有り

と、みるべきかと私は思う。つまり、南北時代頃には、日本には108枚制以上
の有力な将棋は、知られて無かったのではないかと、見ているという事である。
なお、

平安時代中期には、100枚制を少し超える程度の、19×19、361升目の
将棋は、有った可能性がある

と私は見ている。ただし、この将棋は二中歴時代以降には、指されておらず、異制
庭訓往来で”存在する”と主張するには、やや無理があると、現在では考えている。
また西暦1300年ころ、普通唱導集の大将棋の私なりの解釈では、何回も述べ
たが、

その時代の大将棋の”横行前升目への麒麟突入を狙った、”飛車を退ければ勝ち”
の端攻め定跡”の発見により、大将棋は、行き詰まっていた。

従って、南北朝時代(1336~1392頃)に”一年の日数にちなんだ、日本
の将棋”が成立しているとすれば、普通唱導集時代(西暦ほぼ1300年)の、
大将棋とは別の将棋がもとであろう。もしこれが、1300年頃の大将棋の、
南北朝時代の日本人の改良将棋を、更に大型化したものだとすると、社会が、
50年位で、日本人の改良将棋を受け入れて、その改良将棋は、相当に優勢で
無ければならないはずである。しかし、実際には、その改良将棋の有力候補の、

中将棋は、西暦1350年頃に”大いに盛ん”との日記等の史料は、まだ発見
されていない。

従って、普通唱導集の大将棋が、異制庭訓往来の頃を境に、衰微していると
すれば、1350年頃にはわが国でも、記録がまだ残っていて知られていた、

外国の将棋、実際には中国の将棋を、日本でも幾らかは指される”多い”将棋
とするしかない

のではないか。つまり、確かに南北朝時代にも、普通唱導集を改善した将棋が
日本人によって、作られてはいたのだろうが、その当時の社会は、

その日本人作の改善大将棋が有ったとしても、それよりも、中国の宋時代の
19升目の文献に見える”広将棋”等の方に、権威を感じていた可能性が強い

と、私は思う。むろん異制庭訓往来には、多い将棋に関する、書いてある事
以外のヒントは、全く無い。だから、普通唱導集大将棋の没落とは対照的に、
無傷で残った、駒数多数将棋が、無いと断言する事は、現時点では無理だろう。
なお、当時の日本人の将棋観には、

中国の将棋が、平安将棋類とは違い、外国のものという、はっきりとした感覚が、
南北朝時代の、特に上流階級の知識人層に、現代人のように、本当に有ったのか
どうか疑問

のように私には思える。シャンチーに平安小将棋のような、はっきりとした難点
が無かったため、中国の駒数多数系将棋は、中国では文献にしか、残らなかった
とみられる。しかし、それを読んだ、南北朝時代の知識人には、誰か日本人が
改善した、普通唱導集の大将棋の改善ゲームよりも、中国のマイナー駒数多数
ゲームの方が、権威があるように見えたのではないかと、私は疑うという事で
ある。前に述べたが、江戸時代の倭訓栞等文献2~3に、「大将棋とはすなわち、
広将棋の事」との旨の記載が有る。”朝鮮広将棋と後期大将棋に、類似性が
乏しいとみられるため、不思議だ”との話を、このブログで前に述べた。が、
南北朝時代にはそもそも、

大将棋とか泰将棋とかいう名称が付ける事のできる将棋が、中国宋代の98枚
制広将棋か、15×14路の朝鮮広将棋以外に無い

とすると、後期大将棋が現われる以前の常識が、江戸時代に残存して伝説的に
残っていて「大将棋=広将棋(外国の)」になったと考えても、一応説明が
できるように思えてきている。すなわち、

普通唱導集時代の大将棋と、恐らく1440年代少し前からの、後期大将棋の
時代の間、すなわち、異制庭訓往来の時代の、”多い”将棋の時代の大将棋は、
中国宋代”広将棋”等、大陸の将棋を指すのが、特に日本の知識人の間では
常識であった

可能性も、無きにしも非ずと、言う事かもしれないと思うのである。(2017/09/27)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。