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大局将棋の北狄。何故成りは鳩槃なのか(長さん)

日本の将棋の駒には、2~4つで、一つのグループを作るというケー
スが、幾つかある。ポピュラーなのは、これから述べようとしている
①四つで一組の、東西南北民族名駒、のほか
②四つで一組の、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神駒、
③二つで一組の、獅子と狛犬、
④二つで一組の、堅行と横行、
⑤二つで一組の、堅兵と横兵、
⑥二つで一組の、前衛と後衛、
⑦五つで一組(?)の、大旗、前旗、中旗、後旗、小旗、
等である。これから述べようとしている①の東西南北名駒は、大大将棋と
泰将棋、大局将棋にある。ここでは、成りを話題にするので、その成
りを示すと。
イ.大大将棋では、東夷が獅子、西戎が狛犬、南蛮が白象、北狄が
香象に成る。なお、wikipedia等では、香象は斜め前走りの、
その他方向2歩、白象が斜め後ろ走りの、その他方向二歩の動きである。
ロ.泰将棋は、少なくとも水無瀬兼成の将棋纂図部類抄流では、全部
不成りのはずである。江戸時代には、大大将棋と同じと見なされたよ
うだ。
それに対して、以下が今回の論題の内容なわけだが、
ハ.大局将棋では、東夷が獅子、西戎が狛犬、南蛮が金翅、そして

北狄が、表題のように鳩槃(”くばん”ないし”きゅうはん”)に成る。

今回の論題は、成りの理由を問題にする。すなわち、南蛮のパターンから
北狄が、大龍に成らないのは、大局将棋の大龍が金翅に比べて、見劣
りがするのは当然として、なぜ奔鷲とか、孔雀とか、鳩槃以外の別の駒
を選択せずに、鳩盤を鳩槃に、

右の駒だけ不自然に変えてまで、鳩槃を北狄の成りとして選択したのか

という事である。
 なお、鳩槃(右鳩盤)は鳩盤(左鳩盤)より強く、”斜めに隣接駒が
有っても、その先の升目へは行けないが、その先の先の3升目先の升目
へは跳べ、さらに、そこで止まってもよいし、更に先の4升目先の升目
と5升目先の升目へは、6升目以上はだめだが、走りができる”という
ルールになっていると、私は認識する。金翅の斜め前の強い動き(世界
の将棋では、駒を3つまで跳び越せる)と、同等にするためとみられる。
 そこで話を多少、見えやすくするため、結論から先に書く。

 大局将棋の作者は、中将棋の堅行と横行の成りが、普通唱導集時代の
大将棋という、有る決まった一つのゲームの駒から、飛牛、奔猪に決ま
った事を、何らかの理由で知っていて、特定の将棋種、このケースは
大大将棋の駒から、成りを選ぶのにこだわったから

だと、私は考える。そう考えられる根拠は、次の一点である。

中将棋の堅行と横行の成りをどうしたのか、というケースしか、実は、
北狄の成りを大龍に出来ずに、困ったときに、成りを鳩槃にするという
選択をする根拠が、全ての日本の将棋に関して、一通りのそのケース
についてしか、存在しない為

だと私は見る。
 一通りしかないのは、

2~4で1組という駒種は、日本に将棋駒の種類は多数有っても、その
ようなケースが、そう、多くは無い事に起因している。そして、そもそ
も、駒が他の、いろいろな駒に成るケースで、単に奔という修飾詞を付
けて、成りにしてしまう、摩訶大大将棋のようなケースは、参考になら
ないので、はすずと、大局将棋の作者にとって参考になる将棋種は、
中将棋と天竺大将棋、大大将棋、和将棋、そしてもしかすると荻生徂徠
の広将棋に限られるのである。なお後期大将棋や泰将棋は、成りがそも
そも無いので、大局将棋の成りを考える際に、参考にならないために絞
れるのである。
そこで、実際に、各将棋を当たると、
元駒、たとえば堅兵と横兵とか、前衛と後衛とか、獅子と狛犬とかの、
少なくとも一方の元駒と、関連性の無い成り駒名を、それぞれの駒の、
成りに付けているケースは、それぞれの場合について、細かく当たれば、
明らかになるのだが、現実に、たまたまだろうが、

中将棋の堅行と横行が、飛牛と奔猪になっている他には、例が見当たら
ない

のである。この点に関しては、

ここでの主張が正しい事を、読者に実際に調べてもらって、確かめて
もらうしか、信用してもらう方法は無い

とは思う。
 という事は、大局将棋の作成者は、中将棋の堅行と横行の成りの作成
の経過が、両方ともに、牛が猛牛として、猪が嗔猪として、
普通唱導集の大将棋に有ったため、その修飾詞を猛牛は飛牛に、嗔猪は
奔猪に変えた上で、中将棋の堅行と横行の成りとして、使用したものであ
ると、何処かに、情報が残っており、かつどうやってか知らないが、その
事を知っていたのだろう。そして、その前例を

自分が作成しようとしている大局将棋にも、適用する事にこだわった

疑いが強いという事である。なお大局将棋の作成者は、恐らく江戸時代の
将棋の家元、大橋本家の人物だとみられる。
 彼は、東西南北民族名駒の成りで、南蛮と北狄は、大局将棋の香象と白象
が、水無瀬の泰将棋の八方2歩の小駒に、大大将棋からは変更されていて、
結果、成り駒として、使えないと見ていた。そこで、まずは南蛮の成りを、
金翅に変えた。ところが、金翅とペアの大龍は、江戸時代の将棋本では、
斜め前に動けない、横走りの6方駒に変わってしまった。そのため、大局
将棋では、”江戸時代大龍”を採用したくなく、大局将棋ではやはり、
水無瀬の泰将棋の大龍の、角行+前後3目歩に変えた。が、これでは金翅と
のつりあいで、大龍(泰将棋・水無瀬の将棋纂図部類抄)では、弱すぎて、
北狄の成りには使いづらかった。
 そこで、大大将棋の中に現われる駒で、成りになりそうな、鳩槃に目を
つけた。すなわち、左鳩盤を鳩槃(右鳩盤)に、前例が無いが、左右で
不規則にルール変更し、動きを強くして、北狄の成りにしたのである。
 他方、もともとの(左)鳩盤は、変狸と、驢馬の成りにも用いていた。
これらの成りが、現在の左鳩盤なのは、もっともらしく、この鳩盤も残した
かった。そのため元駒としても、北狄の成りである鳩槃(右鳩盤)と、
変狸と驢馬の成りである、鳩盤(左鳩盤)が、

別々にあったまま、大局将棋では左右に、不規則的に放置されるという、
奇妙な事

になったのではあるまいか。
 そんなへんな事になるまでして、北狄の成りを、別の駒、たとえば大大
将棋ではなくて、天竺大将棋の奔鷲や、泰将棋の孔雀といった、大局将棋
の南蛮の成りの金翅と、これらでも、つりあいの取れる駒にしなかったのは、

ペアとなる駒の成駒は、一定の、より昔の将棋種の、2種の駒より選ぶべき

という、方式にこだわり、かつその前例が、

今では初期配列の記録の残って居無い、普通唱導集時代の大将棋である
可能性がある

事を、ひょっとしたら示しているのかもしれないと、私は大局将棋のルー
ルを見て、思うようになった。すなわち、

現在では記録がほとんど無い、鎌倉時代中期の大将棋に関する情報は、
江戸の中期、将軍徳川家治の時代の頃には、まだどこかに残っていた疑い
があるのではないか

と言うわけである。(2018/01/26)

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