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猪俣の百八燈の五重塚。玉、金、銀、銅、鉄の大将棋の将関連では(長さん)

最近、埼玉県児玉郡美里町の猪俣の百八燈の灯火台のある、堂前山
へは、webを見る限り、訪れる観光客も増えたようだ。その証拠
に、美里町の紹介ページ等でも、灯火台の配置等の情報が、公開さ
れるようになって来ている。それによると、山の裾から山頂、また
反対側の裾へと、一列に、百八の灯火台が、並んでいるらしい。
 灯火台は、108のうち104は、ほぼ同様の形だが、中央の2
基と左右端の留塚だけ、大きく作られており、

中央の2基には”五重塚”という名前が付いている

と、私は聞く。なお、両端の灯火台である留塚も、他の104基よ
りは大きいともある。ただしここでは、前者の、”五重塚”という
名称について、まずは問題にする。
 今回の論題は、この猪俣の百八燈の中央の大きな塚に、五重塚と
いう名前が付いているのが、

(1)同じ美里町の広木上宿遺跡で発掘された五色の小型仏塔と、
五という数字で関連するのか、

(2)(1)がyes.だとすれば、西暦1300年頃の、13升
目108枚制の普通唱導集大将棋の将駒、玉将、金将、銀将、銅将、
鉄将に関連するのか。

という内容である。
 答えから書くと、

(1)も(2)も、yes.というのが、本ブログの見方

である。理由は、

”五重塚”が、他の並の百四燈に対して、5倍になっているという
要素もないし、何か複数の材料で、五重に作られているという話も
ない

からである。また、中央に有る事から、当然何らかの合戦で、戦死
した、大将の塚を示しているのは自明であり、しかも大切な点は、

2基であるという事

である。つまり、なぜ1基ではなくて二つあるのかと言えば、

普通唱導集の大将棋に限らず将棋は、半分に駒を分けて争うのであ
り、玉が2枚有る事に、五重塚がきちんと対応しているように、
明らかに見える

からである。しかも、五重塚が真ん中に置かれているというのが
本当なら、左右に並塚が、52基づつ並んで、最後に止め塚が1基
居る事になり、左右で54基、同じ数だけあるというのが、将棋の
駒の敵味方への配分と、同じと言う事になり

普通唱導集の108枚制の将棋に、きちんと対応している

からである。
 では、”五重”という名称は、どこから来たのかと言う事だが。
ずばり、

大理国のあった、中国雲南省大理市の崇聖寺三塔から出土した、
マトリョーシカタイプの五色宝塔の形が、モデルだった

と、私は見る。五重塚を外から見て観察できるのは、言うならば、
鉄の宝塔の部分であり、その中に、銅の宝塔、銀の宝塔、金の宝塔、
が入れ子で入り、そして中央部に、琥珀の中心宝塔が立っていると
いうのが、元々の五重塚のモデルだったのであろう。前に本ブログ
では、大理国崇聖寺三塔から出土した五色宝塔は、広木上宿遺跡で
発掘された五色の小型仏塔と、同類であると、説明している。
 つまり武蔵武士には大将が居なかったので、有力者は大将と呼ば
れずに、五色の塚として弔う将という表現が、合戦で亡くなった時
の法事で、堂前山でも、広木上宿でも割り当てられたという事なの
だろう。つまり、

五重塚と五色の小型宝塔は、もともと同一人物ないし同一人物群の
墓がモデルだった

と、考えられる。
 そのため

大将塚という名前にならずに、五重塚という名前になった

という意味も、込められているのだろう。
 従って少なくとも、

猪俣の百八燈の大将塚である五重塚の五が、広木上宿遺跡の五色の
小型仏塔の五という数字と、何らかの関連があるのは、後者の出土
地点が、堂前山から、さほどは離れて居無い点を考えると、明らか

に疑うべき要素なのではないかと、本ブログでは考える。
 従って埼玉県美里町広木上宿遺跡発掘の、五色の小型仏塔の謎の
解明では、

地元の伝統行事である、猪俣の百八燈との関連性を仮定するという
事が、研究のたたき台に、少なくともなるのではないか

と、言うのが、本ブログの主張という事になる。(2018/04/24)

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