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草場純氏の江戸中期、盤双六が消滅した説は、その通りなのか(長さん)

今回は将棋の話からやや離れ、盤双六やバックギャモンを話題に
する。前世紀にはインド・チャトランガは四人制から出発したと
いう説がかなり盛んで、結局の所、これはチェス・象棋・将棋型
ゲームが、ナルド系の双六の一種から分岐したという、論の流れ
が強かったという事だと、私は理解している。現在では、実際の
戦時の作戦のシミュレーション研究のための、戦争国間の兵力消
耗のモデル実験が、インドチャトランガの起点とみられ、二人制
がインド・マウカリ国のナショナルゲームとして、西暦650年
頃に伸張したのが、チェス系ゲームの始まりという説が強いと、
私は個人的には、国際遊戯史学会の動きを捕らえている。
 何れにしても、盤双六はインドでは、サイコロ四人制チャトラ
ンガゲームとして、将棋とコンタミになっていた事は確かである。
よって、将棋と盤双六とは、全く無関係では無く、日本である時期
に、双六が衰退したという事実に関する諸説は、将棋研究にとっ
ても、全くかかわりの無いものとも、言い切れないと思っている。
 前置きが長くなったが、そこで、表題の論題に入る。
草場純氏の説によると、webに公開されている部分を読む限り、
終局条件を変えて、土壇場のヒットの頻発性を無くしたのと、

将棋の玉囲いに似た効果を持つと見られる、盤双六の相手駒進行の、
完全ブロッキング作戦というべき”プライム戦術”を、江戸時代の
ある時期に、貴族棋士グループが、禁手にした事が、滅んだ直接的
原因

という事のようである。
 そこで今回の論題は、その通りなのかどうかとした。
 最初に何時ものように、答えから書く。
終局条件の変更の影響については、前の方が良かったことは確かな
のだろう。しかし、これが効いているとすれば、ダブリングキュー
ブ・ルールが無ければ、終局条件の改善は、焼け石に水という定説
とは、つじつまが合わない。よって、終局を早めたからからといっ
て、直接的にそれが、滅亡までには繋がらなかったのではないか。
それに対し、

影響が大きかったのは、プライム戦術の禁手化の方

ではないかと私は考える。
”プライム戦術が、盤双六の衰退に関連する”という論には賛成。
ただし、禁手にしたからではなくて、

それしか、盤双六には優位な戦略が、そもそも無いと、上級棋士に、
その結果、発見されてしまったのが滅んだ本当の原因

の可能性もあると、本ブログでは考える。この場合は、禁手にして
ルール改善し、盤双六を継続しようとしたが、そうすると、他には
特に有力な戦法が無いのに、盤双六の棋士は気がついてしまったと、
いう可能性があるのでは、ないのだろうか。
 もし、盤双六のケースに、禁手にするという方法で、とにかくルー
ルを変えて、卓越した定跡であるプライム戦術を排除した場合に、

代替戦法が、ほぼ存在しないという問題が存在すると、ゲームが
滅亡する決定的な要因になりえる

ように、私には思える。このケースは、プライム作りを禁止にして
しまったために、

盤双六は、絵双六とレベルが類似

になってしまって、江戸時代後期に衰退したのかもしれないと思う。
 では、以下に上の結論について、もう少し詳しく述べる。
 ここは大将棋の歴史のブログなため、それになぞらえて少し、有
効な戦略の喪失という点を考えてみる。前に1300年型の
普通唱導集大将棋が、2枚龍馬2枚角の斜め走り駒による、集中的
な横行位置攻めの後の、端攻め戦術と、それを防ぐための、仲人位
置の嗔猪と桂馬とによる、位取り戦法という形が、強く定跡化して
しまったという問題の現代的(西暦2017年の)解決策として、
横行回りの駒をかなり入れ替えて、2017年型を試作した話題を
出した事があった。その際、それで、2枚龍馬2枚角の斜め走り駒
による、集中的な横行位置攻め・戦法が、成り立たなくなるために、

替わって棒銀、棒銅、棒鉄戦法等が、発生するだろう

と、本ブログでは推定した。つまり、普通唱導集大将棋の場合は、
ルールを変えると、別の戦法が現われて、それを補う可能性が強い
訳である。つまり、ゲーム性に関して、日本の伝統ゲームである

盤双六には、普通唱導集大将棋に比して、”定跡を禁止しても、
それとは別の、それに続く戦法が無い”という、深刻な欠陥が
根本的に存在する

のかもしれないと言う事だと、私は考える。
 今は論を、盤双六に限ったが、ダブリングキューブ方式でシノイ
デいるともとれる、バックギャモンは、将棋史の感覚で言えば同類、
すなわち事実上の、同名称ゲームに過ぎないと、私は見るため、こ
の問題が内在する事に、変わりは無いのではないかと、個人的には
予想する。
 なお駒数多数将棋の場合は、実際の歴史では、鎌倉時代末期から、
大将棋はそのまま放置されて、実質滅び、問題の定跡が発生しない
ような、配列改良をも行いながら、獅子に関する特別な規則とい
う、獅子を巧みに使う事を主な特徴とした、中将棋という、別のゲー
ムが現われて、普通唱導集で唄われた、大将棋に取って代わられた。
それにより、駒数多数将棋が継続するという道を、とにかく辿った
のである。
 現代に於いて、盤双六がバックギャモンに置き換わったのは、
掛け率を上げるという、別の切り口で、ルールを変えた外国のゲー
ムに、中将棋に例えれば、獅子に関する特別な規則を導入して、乗
り切るに例えられるような、策が有った事と、インターナショナル
化による、ゲームマインドの支えが、近代のバックギャモンとして
の復活に、効いているように見える。しかし本質的に、特定の一局
が勝負という、盤双六というゲームが廃れたというのは、それで、
問題が本当に消えた訳でもないように見えるし、そもそも残念な事
だ。
 更に、盤双六の江戸中期の衰退には、余り指摘されないが、次の
要因が加わるのかもしれない。実は、当時日本将棋の方は、将棋の
家の者の、手習い家元制度の、特に都市部での普及もあって、その
時代、日本将棋の戦法が、増加を続けながら発展した時期である。
だから、理由としては、一部でしか無いのかもしれないが、その頃

盤双六は、同じ二人制対局ゲームである、日本将棋に押される傾向
は存在した

と、私は考える。特に、江戸中期に徳川家重、徳川家治親子という、
日本将棋の強い将軍が出現すると、幕府と繋がるゲームの家の者と
いう階層が、存在しなかった盤双六には、一層逆風が、吹いたのか
もしれないと、私は個人的には考えるのである。
 以上で、一応今回の論題の議論は、中途だがストップとしよう。
 ところで話は変わるが、さいきん将棋史のブームも少し復活し、
従来日本将棋や5五将棋には、係わって来られたが、将棋史には遠
いとみられていた、電気通信大学の伊藤毅志研究室で、サイコロゲー
ム型の5五将棋が、さいきん開発されたと、webで私も読んだ。
 もともと5五将棋は、最善手が二番手以下の着手に比べて、評価
値が高い、通常の日本の将棋なため、サイコロで着手を、1/6区
切りで制限して、本当に更に面白くなるのかどうかは、私には謎だ
と私見はされる。持ち駒ルール将棋なため、サイコロ型四人制チャ
トランガとは、持ち駒を打つという手がある分、条件が違うが、

①ともかく、日本の将棋駒は、後ろへの動きが弱いので、玉を動か
す目が出たときには、玉を前に出す。
②多少余分に玉を固めておき、王手が掛かったときには、サイコロ
を振らずに対応手が指せる”上級ルール”の特性をフルに利用する。

といった”卓越した定跡戦法”が、持ち駒ルールゆえも有って、返っ
て存在してしまうのではないか。そのため、5五将棋のサイコロゲー
ムは、

かつての盤双六のようには、ゲームが流行らない疑いが有る

ように感じる。
 個人的には、日本はチェス型ゲームの発祥国ではないと、
松岡信行氏とは異なり、私は見ているので、

5五将棋のサイコロゲーム化よりも、草場純氏から”危機的”と聞
いている盤双六のゲーム研究の方にむしろ、伊藤毅志研究室には
参入してほしかった

のような気がする。前記のように、このままではゲームとして、
チェスや将棋の、数倍の歴史の有る盤双六は、本当に危機なのかも
しれないからである。むろん、どんな研究をするのも基本的に、
研究者個人の自由では、有るのだろうが。(2018/06/27)

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