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室町時代前期、関東申次役の公家、西園寺家縁者が角鷹を発明した(長さん)

以前、鷹狩りの勃興のイメージから、中将棋の龍王と龍馬の成りである、
飛鷲と角鷹は、戦国時代の1500年頃より少し前に、発生したのかも
しれないと、述べた事が有った。その際には、幾つかの文献は当たった
が、中世の鷹狩りの”一時的な衰退”について、明確に書かれている
書籍が、実は私には発見できていなかった。
 最近、少し前に紹介した、”人と動物の日本史4 信仰のなかの動物
たち”のシリーズ本で、吉川弘文館から2009年に”人と動物の日本
史2 歴史のなかの動物たち”(中沢克昭編)という本があり、その中
に、

中世における鷹狩りの一時的な衰退について、より詳しい記載が有る

のを私も発見した。結論を書くと、
表題の、公家で、鎌倉時代から室町時代にかけて、関東申次役を代々世
襲した、西園寺家は、

足利義満の時代には、鷹狩りをしていた

と記載されていた。つまり、結論を述べると

武家政権は平安時代末から、室町時代には鷹狩りをしなかった。戦国時
代に室町幕府は、鷹狩りをし出した。しかし、公家の一部が鷹狩りをし
て、獲物を皇族に献上するという儀式を、室町時代前期にしていた

と記載されていたのである。従って、

西園寺家が鷹狩りをする習慣を見た、自身も公家と疑われる中将棋の
デザイナーは、西暦1430~50年頃には、飛鷲、角鷹を発明できる
可能性が強い

と結論できた。
 では、以下に以上の論について、説明を加える。
 まず、この本には、
西暦1100年頃には、仏教の殺生禁止思想が広がり、公家が狩をしな
くなった、と記載されている。なお、大切な事は、ここで狩とは、
弓矢等で、鹿や猪を狩る狩り(獣の巻狩)、弓矢等で雀を狩る(鳥の巻
狩)、笠懸や犬追いを指す。貴族の鷹狩りについては、後世の絵画等に
は描かれているものの、はっきり記録が無い時代が、平安時代1100
年頃から1380年頃まで続いたようだ。
 次に、武家の狩について、鎌倉時代の源頼朝から、鎌倉時代の北条時
頼までは、弓矢等で、鹿や猪を狩る狩り(獣の巻狩)をしたとする。
ついで、鎌倉時代末の北条高時から室町時代の足利義政までは、弓矢等
で雀を狩る(鳥の巻狩)をしたと、紹介している。その間室町幕府は、
笠懸や犬追いもしたという。つまり、武家は狩はしたのだが、

皇族の遊戯の象徴である、鷹狩を幕府はしなかった

と、書かれていたのである。しかし戦国時代に入ると、室町幕府の足利
義晴は、前に調査の通り、鷹狩りを開始する。だから、

武家の幕府を見る限り、鎌倉時代早期から、室町時代には鷹狩りは無い
と見て、正しかった

のである。しかし、これだけなら、
飛鷲と角鷹は、戦国時代の1500年近くにならないと、作れなかった
はずだったのだが。室町時代の1380年頃に、朝廷と幕府のパイプ役
の公家、西園寺家が鷹狩りをしていたという記録が、上記成書に紹介さ
れていた。つまり、もともと中将棋は、以前述べたように、発明される
と実際に指す騎士が主に、藤原氏の末裔の貴族であったはずだから、

西園寺家の鷹狩りを目の当たりに見ていた、自身も恐らく貴族の中将棋
のデザイナーが、西暦1300年代(14世紀)の末から西暦1400
年代(15世紀)の初めに、角鷹(くまたか)と、飛車角の対を連想し
て、飛鷲という駒名を考え出す事は、思ったよりは困難ではない

と、私には思えるようになってきた。元々、中将棋では、飛車は端筋か
ら3列目の歩兵後ろ升目に移され、角行が、1段下げられて、飛車角が
動きで縦横と斜めの違いだけで対である点が、強調されるようになって
来ていた。更に、その成りが龍駒で統一され、ダメ押しに龍王と龍馬の
成りが、飛と角の付いた対駒、飛鷲と角鷹に遅くても1450年頃にな
ったのかもしれない。すると、

飛車と角行が、小将棋に取り入れられる条件は、西暦1425年から、
1450年の間には、揃ってきていた

のかもしれない。あとは、右に縦横駒を、左に斜め動き駒を、1枚づつ
入れる習慣が、摩訶大大将棋より、取り入れられるのが待たれるだけだっ
たのだとも、上記の成書を読んで、私にはイメージされるようになって
きたのである。(2018/07/26)

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