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奈良の興福寺で西暦1200年頃に盤双六と”囲棊”が行われた(長さん)

将棋という語が出てくる文献では無いのだが、西暦1200年、
ちょうど二中歴が成立した時代の史料として、興福寺に於いて、
盤双六と、”囲棊”が行われたと、疑われる文書が存在する。
 文献は、興福寺の僧の貞慶が、西暦1205年に、浄土宗の
法然を”邪教の教祖として、流罪にせよ”と主張した、
興福寺奏状の、罪状9箇条のうちの、第8箇条目の冒頭の部分
である。岩波書店1971年発行の、日本思想体系「鎌倉旧仏
教」、田中久夫氏校注によると、そこには次のように書いてあ
る。

(浄土宗)の云く、「囲棊双六は専修(浄土宗)に乖(そむ)
かず、女犯肉食は往生を妨げず、末世の持戒は市中の虎なり。
恐るべし、悪(憎)むべし。もし人、罪を怖れ(て)、悪(業)
を(行う事を)憚(はばか)らば、是(其)れ、仏を憑(たの)
まざるの人なり」と、此のごときの麁言(そげん)、(浄土宗
は)国土に流布す。(後略)

田中久夫氏の読み下し文であるが、漢字が難しく、上の読みを
旺文社の標準漢和辞典(学生用)で引いて、ようやく、どうい
う悪口なのかが、私にも理解できた。なお、”市中の虎”とは、
”危険な者”との意味であろう。少なくとも、余り私は聞いた
事が無いが、「”戒律などあると、危険である”と、浄土宗の
法然が言っている」という噂を、奈良の興福寺では、当時流し
ていたようだ。
 ところで問題なのは、その戒律で禁止されている事柄のトッ
プに、この例では、女犯・肉食・飲酒等、有名な戒律ではなく
て、囲棊双六という、私には外来仏書の内容としては、余り聞
いた事の無い、賭博が出てくる事である。鎌倉旧仏教の中で、
著者の一人の田中久夫氏は、

仏教研究者の間では、興福寺で鎌倉初期に、囲碁や双六が下級
僧侶によって遊ばれ、飲酒が盛んで退廃していた事は、良く知
られる

との旨を指摘されている。つまり、仏教の戒律で禁止されてい
る事柄には、昼に病気でも無いのに横になってはいけないとか、
僧の衣服は最低量しか保持してはいけないとか、いろいろある
はずなのに、興福寺では、賭博の範疇と見られる、

囲棊双六を下っ端僧侶がするという違反が、西暦1200年頃
には、最も目立っていた

ので、海竜王寺同様の禁止令が在った、という事なのであろう。
 ところで、通常”囲棊”は、囲碁だろうが、興福寺の出土遺
物としては、現在、

碁石や双六の駒よりも将棋駒の方が有名

だ。”囲棊”は囲碁と西暦1971年頃には解釈されたが、
囲碁と将棊(棋)なのかもしれないし、

そもそも賭博が問題になっているのだろうから、奈良の海竜王
寺の大小将棋の禁止の令からみて、興福寺でも、その令の時代
に近い、西暦1200年頃には、将棋が盛んな状況

だったのではないかと、私は疑う。
 今後興福寺の発掘が更に進んで、現時点での最も新しい出土
駒である、西暦1098年物だけでなく、それより100年位
後の、将棋駒が出土してくれないものかとも、私は期待する。
 なぜなら、奈良の海竜王寺の禁止令に、”大将棋”が入って
いる事から見て、冒頭紹介の史料から、

興福寺からは、西暦1200年頃の物の駒として、平安大将棋
の駒の出土が充分に期待できる

と、明らかに思えるからである。(2018/10/09)

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