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中将棋。初期配列2段目盲虎と角行の間が、空升目なのは何故(長さん)

中将棋には、初期配列で、中段に空升目がそれぞれの側に4箇
所ある。表題の二段目盲虎と角行の間、および同じく2段目の
角行と反車の間である。左右あるので先手後手それぞれにつき、
4箇所になる。このうち後者については、原因に関して本ブロ
グの見解を既に述べている。元々、角行と反車の間に猛豹があっ
たのだが、現在猛豹の居る位置に居た、鉄将が除かれて猛豹が、
猛将と洒落た上で、位置が1段下がったというものである。理
由は、堅行が龍馬+角行の筋にあたっていて、睨まれているた
め、退避升目を作るためと、そのとき述べた。では残りの、盲
虎と角行の間の隙間(空き升目)が、何故生じたのかを、今回
は問題にする事にしよう。
 最初に何時ものように、本ブログの見解を書き、以下でその
説明をする。
 そこで、回答を書く。もともと中将棋では、不要として

仲人を抜く予定だったが、それをやめて問題の升目を空にし、
96枚制の将棋を作成するため

だったと、ずばり本ブログでは推定する。
 では以下に、以上の結論につき説明する。

本ブログでは、中将棋は当初、4段組でびっしり駒を並べた配
列にしようとした

と考えている。理由は、12升目が干支の数で、暦と将棋の関
連性に関する、北周の武帝の言い伝えと良く合うし、8段分駒
を集めて96枚にするというのは、24節気と72候のずばり
和であって、たとえば他の例として、大大将棋と摩訶大大将棋
の駒数の半分であり、その理由も一緒であるから、当然さいしょ
は、そのような将棋を作りそうだという点が指摘できる。中将
棋成立の経緯が、完全に残っていたとは考え難いが、江戸時代
19世紀の中将棋の将棋本、中将棋絹篩にも、
”これ(中将棋)すなわち縦横12(升)目なれば、十二支を
もって合文(思想を表した)とす”とあり、”12升目は干支
にちなむ”という説明があるから、時代に関係無く、誰でも考
えそうな話には、間違いは無いと私は思う。

そして96枚というのが、12の8倍である事から、4段組の
将棋を作れば、24節気と72候の和の96で、ちょうど良い

将棋になる事は明らかだった。
 ところが、最初使用しない予定だった仲人は、龍馬+角筋を
止めるために、普通唱導集の大将棋の第2節に唄われているの
と原理はいっしょで必要なのに、中将棋のデザイナーは、試行
するうちに、気がついたのであろう。そのため

仲人下の2段目の駒を取り除いて、96枚は変えずに、2升目
歯が抜けたような将棋に、結果として、せざるを得なかった

と、ここでは推定する。
 以上の事から、

中将棋では本来のプロトタイプになった形が、本ブログの推定
する、駒が4段でびっしり詰まった、108枚制の普通唱導集
大将棋(本ブログ推定タイプ)

のように、隙間無く駒を並べた将棋であっただろうと、推定で
きるように思える。96枚制の将棋を作るという動機は、将棋
の起源が、暦学と関連するらしい、象経だという伝説から考え
ると、暦に現われる数に関連付けたくなるのは自然だから、

袖にもともと隙間のあるような、後期大将棋から、中将棋が作
られるという考えは、12升目にする意味が不明で不自然

と、本ブログでは見るのである。そもそも、角行と反車の間の
隙間と、盲虎と角行の間の隙間は、結果として、一つおきの隙
間であって良い意匠にはなったが、各々について、その存在が

必然かどうかは、2種類の隙間について、それぞれ別々に考慮
したと、私には疑われる

という事である。だから本ブログでは、

中将棋が後期大将棋から生まれたのではなくて、後期大将棋の
方が、中将棋の袖の市松隙間模様を手本にして、それ以前の、
中間的な大将棋、すなわち普通唱導集大将棋から作られた

のだと、いう結論になる。
 さらに言えばそれ以前に、そもそも

現在の中将棋は92枚制だが、それ自身が不自然

という事が現に有ると、私は思う。12升目にして1年の月の
数に、盤の一辺升目数をなぞらえたのならば、駒の総数も、
24節気とか72候とかそれらの和とか、暦に関連する数に、
合わせるのが本来は自然だった。だが実際にはそうならなかっ
たのは、後の調整の結果だと、私は思っているという事である。
(2018/10/11)

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