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今小路西遺跡出土”内容不明木簡”はプロト中将棋ルール説明文(長さん)

鎌倉時代から南北朝時代の遺跡として知られる、鎌倉市の鶴岡八幡宮
からは、成り楷書奔王鳳凰駒等が出土している事で著名だ。が近隣の
鎌倉市市内の、北条氏や千葉氏の鎌倉邸跡等の遺跡からも、将棋駒が
出土している事で知られる。その他、賭博場かともみられる、今小路
西遺跡から、将棋駒や遊戯具が出土している。以上のように、全体と
して鎌倉市市内は、鎌倉時代から、南北朝時代にかけての将棋遺物が、
かなり出土する場所となっている。
 ところでいま最後に述べた今小路西(御成小学校)遺跡と、さほど
離れていない所とみられるが、今小路西(社会福祉センター)遺跡か
ら、今回話題にする、”読み下し不能な木簡”が一枚出土している。
 さっそくだが、この木簡に、

何と書いてあるのか、それが将棋史と関連するのかが、今回の論題

である。最初に結論から書いておく。
最初から、ほとんど”ひらがな”ばかりで、内容が書いてあると仮定
すると、

南北朝時代の中将棋の、ルール説明の一部のようにも読める。

では、以下に以上の結論につき、説明を加える。
 この木簡は、中央から上下に2つに折れてしまっていると、鎌倉考
古学研究所には見られたようだが、

そう考えると、内容が全くわからない。

今小路木簡.gif

2つを切り離して、

上の半分から説明が始まり、一部切れている

が、木簡の下半分とされるものへ、説明が続いていると見ると、この
木簡の文字が、ほぼ”ひらがな”ばかりだとして、次のようにも読め
るように、私には思える。

(本ブログの、読み下し案。上半分)
志ろいぬ、
もうひゃ(う)。
まうこは、
(以下、下半分の部分)
(近)くわ行が、
上わ(?)ゆ
け無。

つまり、読み下しのポイントは、このケース、いぬ、ひゃ、こ、と
いう、動物名に見える平仮名が、はっきりしているのが、ヒントの
ようにも、とれると言う事である。
 そこで、やや判りにくい、上記の読みを、本ブログなりに意訳す
ると、以下のようになる。

(以下意訳。)
西暦1350年頃現在、中将棋には
白犬。猛豹が在る。また更に、
盲虎が有って、隣接升目へ動くルールになっている。
が、盲虎はすぐ前の升目には進む事が、でき無い。

つまり、志ろいぬと書かれた、狛犬駒が、獅子の代わりに、一時期
中将棋に入っていて、獅子の”複雑な特別規則”が無くても、ゲー
ムになるように、変形中将棋が試験的に作られた時代が、一時期有っ
たらしい

とも取れるような、内容に読めると言う事である。これは、原初の
中将棋のルール説明を、ぼんやりと記したものと見る事ができるが、
中将棋のゲームルールの内容を知らない、かなりの数の木簡研究者
には、”意味不明”と取られてしまう内容であったという事になる。
 この木簡は、鎌倉考古学研究所が中心となり作成した成書、よみ
がえる中世(3)、武士の都鎌倉で、”判読不能”との烙印が、西
暦1989年に、権威ある専門家によって押されたため、

恐らく成書に堂々と載っているが、その後の解明の努力は無かった

ようだ。
 全国出土木簡には、まだこういった、内容未研究なものが、幾つ
かはあるのだろう。少なくとも、このケースについては、

読者が”読めない”と成書に書かれていても、それを頭から信じて
中身を、さいしょから、読もうとしなくなってはいけない例の一つ

に間違いないと、私は問題の、珍しい中世木簡の写真を見てからは、
思っているという事である。(2018/11/07)

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