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チェス始原史。四人制から二人制へ増川氏が転向の訳(長さん)

今回は、ものと人間の文化史23-1と、ものと人
間の文化史110を、両方御持ちの方には釈迦に説
法であろうが、インドでのチェス・将棋類の発生が、

四人制チャトランガから最近は、二人制チャトラン
ガへ転換したように、webに紹介されている経緯

について、何故なのかを論題にする。理由は、将棋
史研究家で、旧遊戯史学会の会長の、

増川宏一氏が、転向したため

である。ただ、どういう転向経緯なのかは、増川氏
の講演を聞いても、上記著書を読まないと、実は、
判らない。そこで正直私も従来は、社会のムードと
して、受け売りに近い形で、取り入れていたような
所があった。しかしこれでは、小さな議論が発生し
たときに、迷い路に陥るだけとみられるため、調査
しなおすことにした。状況を御存知の方には、今回
は、読み飛ばしが可能な内容である。
 回答をまず書く。
紀元前100年前後に成立とされる、インドの壁画

バールフートの彫刻が、四人制チャトランガを表す
という根拠が、相当に怪しくなった。

その結果、四人制チャトランガの成立年代が、
約1100年も変化して、アル・ビルニのインド
旅行中の、インド・ゲームの発見記録の記載、
西暦1000年頃が初出へ、学説が変化した。
 またこれとは別に、西暦600年前後とみられた、
二人制チャトランガに関する”インドマウカリ王国
から、ペルシャへ、8×8升目、双16枚32枚制
の二人制チャトランガを送った記録”が従来より知
られ、これに逆転され、4人制から2人制起源へ、
今世紀に入って学会の流れが、急速に移った為で
ある。
 では、以下に説明を加える。
 西暦2003年当時の、増川宏一氏の、法政大学
出版局”ものと人間の文化史110 チェス”を読
む限り、

増川宏一氏の講演を聞いても、事情が判らないのは、
インドの古代言語が読めない聴衆には、理解できな
いので、増川氏が根拠に言及しないため

であると、理解する事ができる。
 判りやすくデフォルメして表現すると、インドの
紀元前100年内外の遺跡のバールフトの彫刻に、
6升目前後の盤で、サイコロを幾つか使い、4人で
何らかのゲームをしているような彫刻があり、

題名らしきものが、書いてあった

とされるようだ。結論から述べると、チャトランガ
に関連するフレーズと、解釈するする意見も、以前
は有ったが、

この古代インド壁画のゲーム題字のように見える文
字の内容について、近年には”四人制チャトランガ
の図”と書いてあると解釈する説に関して、否定的
な研究が増加した

と言う事である。その結果、四人制チャトランガの
紀元前100年頃発生説は廃れ、2番手の史料で
ある、アル・ビルニのインド旅行中の、インド・ゲー
ムの発見記録の記載(西暦1000年頃)が、四人
制チャトランガの初出へ、学説が大きく変化した。
 他方、西暦600年内外に、8×8升目、片16
枚、32枚制の王、副、象、駱駝、馬、塔、兵と命
名された単一の形の、色の違う玉を使ったゲームが、
インドからペルシャの王に送られたという、文献の
解読が、更に精密化した。そのため、西暦600年
内外の、インドにおける二人制チャトランガ型ゲー
ムの存在の確実性が、顕著に増大した。後者は、
従来より知られていた、西暦700年内外の、チェ
ス型ゲームを思わせる駒のインドでの出土とも、
発生時期が良く合っていた。そのため、バールフト
の彫刻を、インドの古代の、原始的な盤双六の絵の
誤認に過ぎないのではないかと、疑わせるのに充分
だった。
 以上のように史料は約100年前から知られてい
たものばかりだったが、精読が進んだので、学説の
支持者が、大きく変化したという意のようである。
 また、以下の理解が、この問題の経緯を理解する
上で、たいへん大事なのではないか。すなわち、
インドに於いても、1000年前を越える、起源の
議論に関して、特に有効な

チェス・将棋史の史料の数は元々、数えるほどしか
無い。

だから、元々情報量が少なく、その解釈が僅かでも
フレると、結果に重大な影響が出ると言う事だろう。
 よって以下暴言で、私が言っても、誰にも相手に
されそうも無いかもしれないが。
 少なくとも日本の将棋に関して、この先新たに、
意味のある将棋史関連の史料が発見されたら、他所
の学術分野である、例えば、
天文学が”ほうき星”の発見に関してやっているよ
うに、

史料に、第一発見者の名前でも、付けるルールに
今後はしてみてはどうか

とさえ、私には思える。(2019/05/03)

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monozuki

いつも興味深く拝見しています。チェス史に関連してバールフートのレリーフについて、以前少し調べたことがあって、その頃のファイルを調べているところです。発見者のカニンガムの論文によれば、一連のレリーフは仏陀の前世に関する説話集(ジャータカ)を題材にとっています。カニンガムは、虚偽に執着して政治を進めた王が罰を受け、大地が割れて地獄に落ちる話(422話)を取り上げたものと考えているようです。ただし、カニンガムの紹介したこの話には賭博やゲームのことは出ていません。それでは、ジャータカに賭博やゲームのことは出ていないのか、というとそうではなく、91話に「毒を塗った賽の話」があります。ただ、こちらは大地が割れたり増していません。おそらくこの二つの話をもとに『チェスの歴史』の著者マレーは、このレリーフが4人によるさいころゲームを描いたものではないか、と解したのが始めではないかと思われます。・・・以下は後日また。
by monozuki (2019-05-13 18:35) 

df233285

monozuki 様 コメントありがとうございます。(長さん)

monozuki 様、毎回貴重な情報を賜り、深く感謝致します。
ものと人間の文化史110”チェス”で、増川宏一氏は、
この彫刻の遊戯盤の升目が、6×5で、正方形型で無い
事を、初めて指摘されています。しかし、以下私見ですが。
彫刻や美術関係の遊戯盤は、升目の数がけっこうフラつく
ので、決め手にならないと認識します。この点、成書”チェ
ス”で、増川氏の注意の一言がほしかったところです。
やはり遺物史料にとって、”字”の大事さが感じられます。
江戸時代の書”人倫訓蒙図彙”のように、題名をきちんと
書いていて、ほしかったと思います。この史料については、
否定も肯定も曖昧すぎて、困難ではないかと考えます。
今後とも、どうぞよろしく御願いします。

by df233285 (2019-05-14 08:45) 

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