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山本亨助氏の近代将棋1977年2月号の上久世駒(長さん)

南北朝時代、西暦1350年頃の裏無地酔象駒と言わ
れる、京都市の上久世遺跡の出土駒については、画像
情報が簡単には探せない状況との旨、以前に紹介した。
最近ようやくだが、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の
写真よりも、幾らかましな画像が、昔の将棋雑誌、
近代将棋の西暦1977年2月号の136ページに載っ
ているのを、私も確認した。
山本氏のコメントとは違い、写真としては成書、天童
の将棋駒と全国遺跡出土駒と、元が一緒なようだが、

下の方に象の頭と右下側が、かろうじて写っているの
で、特に後者が有る為、天童・・の写真よりは駒字が
少し判るよう

である。山本亨助氏が、実物を見ているのは、確かな
ようで、発掘現場を訪問したときの様子や、”酔”だ
け見えた事などが、前記の雑誌の記事として確かに載っ
ていた。
 久世の荘園の歴史も聞き取っており、京都の寺の
東寺へ、寄進された時代が、有ったとのことである。
また少なくとも

山本亨助氏が、この駒の成りが、太子である等は、
確認していない。何も書いて居無いと思ったようだ。

また、本ブログの見解だが、写真を見る限り、酔が
確かにあるように写真からは見え無い。またこの駒が、

酔”像”と人偏付き象では絶対無いという、確たる
証拠も無さそう

だ。”ここに線刻のような模様が有る”と、言われて
しまえば、天童の将棋駒と全国遺跡出土駒の、より悪
い画像でも、象の文字の、駒木地に対する”横倒しの
日”の位置は割り出せた。豚のツクリ部分が全く判ら
ないと、天童・・の写真は、字が有るようには見えな
かった。なお本ブログでも前に指摘したが、山本氏の
印象でも、”大きな駒”という感じは、現物を見たと
きに、確かに有ったようだ。

オモテの字も、やっとこさ残っている位なので、裏の
字は消えたのかもしれず、中将棋や大将棋の駒で無い
という、絶対的な証拠も無さそう

であった。何れにしても西暦1976年時点で、遺物
が確かに存在はしたと、私にも思われるようになって
きた。が、山本氏の成書でのみ、記載のある”赤外線
による判定の研究結果”は、少なくとも私には、未だ
確認出来て居無い。(2019/05/09)

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