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玄怪録「岑順」平凡社東洋文庫本、前野直彬氏解題(長さん)

玄怪録「岑順」(小人の戦争)については、将棋が
加筆かどうかの判断をするに当たり今の所、出典原
書に関する、東洋文庫の解題位しか、少なくとも私
に判断材料の持ち合わせは無い。
 玄怪録については、成書が別にも出ているが、内
容の優劣についてしか、編訳者の解題には書かれて
居無いと言うのが、少なくとも私の心象である。
 そこで、以下は前野氏からの情報により、玄怪録
「岑順」における将棋情報は、後代の作り話なのか
どうかの可能性について論じる。
 結論から書く。

牛僧儒の生きた時代に、将棋という言葉が、中国に
有ったのは確かなようである。むしろ、砲駒が本当
にその時代に無く、これが、中国シャンチーに本当
に接続しないかどうか、今後細かく考える必要が有
ると考える。

 では、説明を以下に書く。
 中国では唐宋の時代、

漢詩に比べて怪奇小説を書く事に対する社会の評価
は低かった。

問題の、牛僧儒の玄怪録「岑順」(小人の戦争)に
ついては書写が、原書から、北宋の太平広記によっ
て、西暦980年前後に一回行われた。その際加筆
して、中国には古くから将棋が有るように見せかけ、
怪奇小説を”より面白く”して、太平広記がより、
売れるようにするような事が、行われたとは、考え
られていないという。太平広記自体、売れ残りの稀
少本だったとされる。むしろ前野直彬氏は、太平広
記の怪奇小説の記載群は、北宋初期に、ようするに、
王朝内では、形式的に完成させた全集本であって、
傾向としては”どうでもよい文書の類”とみなされ
たとの旨の印象の書き方をしていると、私は感じる。
その結果、

”書いてあったはずの内容が、一部削られたと見る
のが常識”だ

ともとれる内容を、東洋文庫”唐代伝奇集”の、
作品解題部で述べている。なお小人の戦争は、西暦
980年頃成立の太平広記の第369巻に、器物霊
の話を記載した、”空き家の怪”と共におさめられ
ているとされる。また、西暦1060年頃成立の、
”新唐書”の”唐書芸文志”に、玄怪録は”牛僧儒
の短編怪奇小説集として、十巻物の書籍が有った”
と記されているようである。
 ちなみに、1957年に中国人民文学出版社から
出た校訂本を使って、東洋文庫での内容を補正・加
筆したとは、この「岑順」物語りに関して、前野氏
は特に言及して居無い。
 また、実際に牛僧儒が生きた頃に、彼の著作の
怪奇小説を装って、政敵の李徳裕派の韋環が、
周泰行記を書いていると、前野氏は紹介している。
後者は、牛僧儒の生きた時代に、少なくとも彼を含
めて牛僧儒の派閥で、かなり多数の怪奇小説が、書
かれた事を示しているように、私には見える。
 つまり、少なくとも北宋の時代の初期には、北宋
時代にならないと成立しない、ニセの怪奇小説の内
容を、新たに作る空気が漢詩とは違って、ほとんど
無かったので、牛僧儒派著作が、政敵の李徳裕派の
装いであったとしても

紹介されている小説については、本当に晩唐の9世
紀に有った可能性が高い

ようである。また、むしろ本来有ったはずのものを、
形ばかりの紹介にとどめようとした空気が、北宋の
初期には強かったので、中身がどうでもよければ、
枝葉の表現は削ろうとしたようだ。そのため、

将棋が無かった事よりも、宝応将棋に本当に砲駒が
無かったのかどうか、表現の省略を心配したほうが
良い

という事らしい。砲が有りそうなのかどうか。有っ
たとしたら、宝応将棋はシャンチーの親に、本当に
ならないのかといった、ゲーム性についても、後で
詳しく調べてみようと思うが、

文の繋がりとして、砲の説明を加えると、矛盾が
起こらないのか、

については少なくとも、近々精密に、検討する必要
が有るとの印象を、前野氏の解題文の全体的な傾向
から、少なくとも私は受けた。
 残念ながら、問題の書の書誌論が書かれているの
は、ざっと見渡した所では今の所、玄怪録について
は、東洋文庫本しか無いように私には見える。別に
有効な、玄怪録「岑順」に関する解題情報が有れば、
更にそれも参考にしたいとは、当然私は考えている。
(2019/05/15)

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