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日本の小将棋を3段配列にしたそもそもはどこの国(長さん)

本ブログによれば、日本の将棋が3段配列なのは、
元々雲南の将棋だからで、そのままの継続の結果
という事である。では、そもそもの3段配列が、
インド原初将棋の2段配列から変化したとして、
そもそもの発明国、インベンターのデザイナーは
は、何処の国の者なのかを、今回は論題とする。
回答を書いて、更に説明する。

ミャンマーのシットゥインがオリジナルと見ると、
アジアの将棋は理解しやすい。

なお、発明は8世紀であり、理由は
(1)序盤の手数の短縮のため。

それが、歩兵列を上げる事により他の効果として、
次の別の2つの効果も持つため、そのうちの(2)
を、日本の小将棋では使用した。

(2)中盤、金塊が盤上に早く並ぶ。(雲南で、
9世紀に気がついた。なお(2)の用途が、雲南で
だけ活用できたのは、山間部まで、その前9世紀ま
でに、イスラムシャトランジが浸透せず、インド
チャトランガの”王に近い副官”が、残ったためで
ある。)
(3)砲の”横兵取り攻撃”を、馬で守りやすい。
(中国中原開封付近で、11世紀後半に気がつく。)

では、以下に説明を加える。
 ミャンマーが震源地と考えると判りやすいのは、
13世紀にモンゴル帝国に押されて、タイ人が、
雲南からタイへ南下したときに、

カンボジアでは4段配列を捨てたが、ミャンマー
のゲームデザイナーは、兵ラインの配列を変えな
かったとみられる事

が根拠だと考えると、正しいかどうか以前に、東南
アジアの象棋自体を理解しやすい。(1)が、兵段
を上げる動機として、最も始原的なので、オリジ
ナルが、どの国のゲームなのかを考えるときには、

ミャンマーのシットゥインとカンボジアの9路
シャッツロンの2托になる

と考えられる。どちらなのかの決め手になるのは、
タイ民族が、13世紀、モンゴル帝国の侵攻に押
されて、東南アジアに大量移動したとみられるとき
に、マークルック型の兵3段目配列に、歩兵列を
逆に、やや後退させたかどうかだと、私は思う。

変えて居無い、ミャンマーは、ナショナルオリジ
ナルの自負が、兵配列に有ったので、駒の動かし方
ルールは、タイの象棋をかなり取り入れたが、配列
は上げたままだった

と考えられる。それに対して、カンボジアの方は、
11世紀にシャンチーが成立して、ヴェトナムから
広がってくると、中国シャンチーは(3)の理由で、
兵を4段目にしたのだが、ミャンマー流に合わせて
(1)の理由で、シャッツロンの兵を4段目とし、
交点置きだけ、中国流を取り入れたと考えられる。
12世紀の頃の事だろう。
 ところが13世紀になって、タイ人が、元王朝
に圧迫等されて、それまで以上のペースで、大量に
民族移動してきた。そして彼らが(2)が元々で、
(1)に切り替わりつつあるという状況で、兵を
3段目に上げた、マークルックを持ち込むと、

カンボジアでは(2)の要素が入っている、混じ
り物”将"棋である事を余り気にせず、タイの
象棋の初期配列に、多勢に無勢で変えてしまった。

しかしながらミャンマーでは、タイ式の初期配列を
13世紀以降も真似なかったのは、ナショナルオリ
ジナルに対する自負と、(2)が混じりこんでいる
事に対する不快感が、強かった為だろうと見られる。
金の誘惑におぼれない、上位座仏教国の誇りも有っ
たのかもしれない。
 この事から考えて、兵の段数を上げていったのは、
ミャンマーがオリジナルだと考えると、判りやすい
ように、私には思える。

何れにしても、純粋の(2)を事実上維持したのは、
雲南の将棋の遺児である、日本の平安小将棋だけ

だったと、ここでは見る。
 ウェトナムは中国シャンチー型に、結果としてな
ったし、インドネシアの島嶼等では、イスラムシャト
ランジの初期配列そのものが、インドの古象棋の一
種同様残ったと、聞いている。
 なおこの論は、とてもアバウトなものである。
 たとえば今までの説明で、ラオスやマレーシア、
フィリピンが出てきて居無い。しかし、いわゆる東
南アジアの象棋類の内容を、大づかみで理解する上
では、大国のうちの一部が抜けているものの、上記
のように背景を認識すると、全体的内容は、割と
理解しやすいように、私には思える。(2019/05/16)

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