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麒麟抄11世紀作ゆえ飛車角無説は偽作説でどうなる(長さん)

かつて、麒麟抄が藤原行成著書説が将棋史学会で普通
だった頃、11世紀の特に小将棋に”成金は草書で書
く”との記載から、龍王に成る飛車と龍馬に成る角行
は無い根拠の一つとされていた。将棋史家は、麒麟抄
の偽作の事実が広まると、麒麟抄の将碁を余り紹介し
なくなった。が、
麒麟抄が南北朝時代の作だとすれば、大将棋に成太子
酔象、成り獅子麒麟、成り奔王鳳凰があるにもかかわ
らず、麒麟抄では、金への成しか無いと書いてあると、
そう取っていた将棋史家の、かつての論そのものを、
どうするのか。つまり、どう落とし前をつけるのかと
いう議論が、置いてきぼりになってしまったと考えら
れる。そこで、

今回本ブログでは、以上をどうするのかを論題とする。

いつものように、最初に回答を書く。
 すなわち回答は、以下の通りである。
南北朝時代は中将棋と旧大将棋の境めの、平安小将棋
(現代日本将棋の、動くたび成りタイプの持駒ルール型)
の中興時代であったと推定できる。その証拠としての
麒麟抄の存在の意味を、未だ失って居無いと、ここでは
取る。
 では、以下に説明を加える。
麒麟抄が、偽作者によって成立した時代には、中将棋が
存在としても、少なくとも多彩な成りルールを取る今の
中将棋は、ローカルルールであって、

ゲームする人間が、藤原行成の子孫の世尊寺家等には、
作駒を依頼せずに、自分で字書きをした時代

だったとみられる。中将棋駒の字書きの仕事が、麒麟抄
の南北朝時代の、真の著者の所にたくさん来ていたとし、
それが、龍王は飛鷲、龍馬は角鷹、飛車は龍王、角行は
龍馬、竪行は飛牛、横行は奔猪・・・というように、
多彩な成りを持つルールだとすれば、麒麟抄の成りの書
き方の記載を、金だけでは、当然済ませなかったはずだ
からである。しかし実際には麒麟抄には”成金は極崩し
た草書で書くべきだ”とだけ書いてある。だから、

麒麟抄が本当に成立した、鎌倉末期から南北朝時代に
かけては、中将棋は成りが、後期大将棋程度しか無い、
黎明期だった可能性が、かなり高い

とみなせるように、本ブログでは考える。
 ただしそれでも、何らかの大将棋が有って、鳳凰の成
りを草書にしなくても、不便ではないのかという問題は、
残っていたものと見られる。しかしそれも、神奈川県
鎌倉市の鶴岡八幡宮境内遺跡で、楷書の成り奔王の鳳凰
駒として出土している等、問題の実在性自体が、かなり
高いが、麒麟抄では言及されて居無い。これは、出土駒
が有っても、

平安小将棋よりも、大将棋の普及度はかなり低い

からだと見て、良いためのように思える。
 というよりも、
大将棋は普通唱導集に書かれているように、ゲーム性が
明確すぎる定跡の発生によって難が有ると見られて、衰
退混乱期に入り、存在しても、さまざまなバリエーショ
ンが生じて、作駒は美術的な価値よりも、ゲームを今後
どうするかの方の、切羽詰った問題の方が重要になって
いたのだろう。そこでこれらの字書きは、能筆家にでは
無く、使い手自作が主流になったのだろう。大将棋につ
いても、麒麟抄が本当に成立した南北朝時代には、成り
鳳凰の書き方等を、麒麟抄に記載する動機付けを、そう
いうルールが正しいかどうかが、不明になってしまった
ために、それそのものを失っていたように、
私には推定される。以上をまとめると大づかみで言えば、
異制庭訓往来には、確かに”色々な将棋が有る”とは書
かれているが、駒数多数将棋は群雄割拠の混乱期であり、

主流は平安小将棋(現代日本将棋の、動くたび成りタイ
プの持駒ルール型)であり、一般にはこれが”将棋”

だったと言う事を示しているのではないか。だから、
南北朝時代にも、やはり

龍王成り飛車と龍馬成り角行は、新安沖沈没船出土駒も
示唆しているように、小将棋には入っていなかった

という事を、麒麟抄の記載自体は物語るのではないか。
 つまり、
尊経閣文庫蔵の二巻物色葉字類抄の第1冊/4冊付録の、

小将碁馬名の記載だけが、新安沖沈没船出土駒や、南北
朝説麒麟抄、二中歴の将棋記載とは、整合していない状
況である。

以上のような現状なのではないかと、私には認識される。
(2019/05/24)

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