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2004年奈良県旧大乗院庭園出土、行軍将棋の謎(長さん)

奈良文化財研究所の木簡データベースに、西暦2004年
の発掘で発見された、明治時代の現在の旧大乗院庭園、当
時の飛鳥小学校跡とみられる遺跡から出土した、行軍将棋
の駒と見られるものが約20個、まとまって紹介されてい
る。共出土した木製遺品から、通常の日本将棋の駒を、
小学校の児童ないし、共出土木製品より”事務”関係者が
改造したものと推定されるとの旨、奈良文化財研究所紀要、
西暦2005年の118ページ付近に、共出土遺物と共に
紹介があるようである。
 木簡データーベース上に、内容として、

・角行・中将
・□・大□〔尉ヵ〕
・□□・少将
・□□〔金将ヵ〕・中
・□□・少□〔佐ヵ〕
・□・大佐
・飛車・□〔将ヵ〕□
・角行・〈〉
・金将
・□〔金ヵ〕将・□○
・銀将
・□□〔香車ヵ〕
・□□〔少佐ヵ〕
・少佐
・□・中尉
・□□・□□〔佐ヵ〕
・桂馬・中尉
・□・□〔中ヵ〕

の18枚程度が紹介されていて、ものによっては、画像も
ある。近代の将棋の駒が材料のようで、片面を手書きで、
行軍将棋に、作り変えているという、印象のものである。
 結論から述べると、

この遊具は、いまの行軍将棋には使用し辛い。最上段の
角行・中将と下から2段目の桂馬・中尉駒からみて、将位と、
尉位とで、裏から見て大きさに差があるので、駒の種類が
おおまかだが、判ってしまうから

である。では、以下に説明を加える。
 駒によるようだが、形を行軍将棋のトンガリヅンドウ五
角形に、切り替えようとした形跡の有るものも、確かに一
部にはあるようである。
 なお、飛車の車ははっきりしており、裏が大将と書かれ
ていても、表が”プロの駒師が書いた”飛将である可能性
は少ない。つまり、駒群の中に、天竺大将棋や大局将棋の
駒が混じっている可能性は、ほぼ無い。よって、本ブログ
の本流の議論とは、余り関係が無い、近代の遊戯具用の
駒の出土のようである。
 しかし、本ブログの管理人も、行軍将棋のやり方は、さ
すがに知っているので、

そもそも歩兵駒だけで、道具を作らなかった経緯が謎

だと感じられる。大きさを揃えて、裏から何の駒だか、判
らないようにするのが、行軍将棋の駒の基本だからだ。作
者が小学生だったから、そこまで思考できなかったという
説を、私は否定はしない。しかし、

明治時代当時の奈良県では、今の行軍将棋とは別のルール
のゲームが存在しなかったと完全否定できるわけでもない

ように、この遺物を見て私は思う。
 付近の年寄りに聞いても、経緯が判らないものなのか。
 近間の行軍将棋関連の遊戯史研究家の今後の調査結果に、
一応期待したいものだと、私は思っている。(2019/06/21)

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