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なぜ日本の将棋の伝来元論で独法では中国へ偏重したか(長さん)

今世紀初に書かれた、紙がだいぶんくたびれた通俗的
な人類・文化に関する、日本の某独立行政法人が実質
責任著作の通俗成書を読むと、日本の将棋の伝来元は、

中国に決めつけ

の論が、稀に巾を利かせているように、本ブログの管
理人には認識される。むろん、本物の中国伝来派の将
棋史研究の専門家は、独立行政法人の内にも外にもお
いでだが、個別に専門の将棋史研究者が、持論を、所
属の独立行政法人名で、権威つけたような格好づけを
する例は、まず見当たらない。
 何故、論壇派閥の一つでしかない、”日本の将棋の
伝来元は中国”論が、定説であるかのように、日本の

独立行政法人が責任編集したように取れる成書の中で、

将棋史界では余り名を聞かない、某独立行政法人内の
研究者とみられる者が、これほどまでに、中国伝来説
の正当性を、特異に強調した例が散見されたのか。
 ここでは増川宏一氏の”昔ながらの”論には、必ず
しも賛成せずに、以下原因を思考してみる。ちなみに、
東南アジア伝来説の代表である、ものと人間の文化史、
将棋Ⅰ・Ⅱや、将棋の来た道等が出版されたのは、前
世紀後半の事である。
 すなわち増川宏一氏の当時の論法に、本ブログが
現在に、そのままスライドさせて賛成できないのは、

増川氏の成書が、現在大いに普及しているにもかかわ
らず、そうだから

である。
 つまり、増川氏が、将棋Ⅰを著作した頃のように、
”本当に中国伝来派が強い”中で、”中国伝来説が定
説”と述べられている訳では現状無く、実際には

現在、将棋の伝来元の説については戦国時代である

訳である。だから増川氏の昔の論法は、今では適用し
にくいとの意味である。
 では、最初に回答を書く。
人類・歴史文化系の系統の特定の独立行政法人内の
研究者が、文科系の高等教育機関を卒業等した人間の
集まりであるため、理科系学問の老舗である、

天文学史の常識から、よほど遠い位置に居るから

と考える。
 これは日本の将棋の独特な性質が、啓蒙者自身に
理解できていないための、”村社会の無理筋論”の
一般大衆への、好ましくない押し付けの、まかり通り
の例である考える。
 では、以下に詳細に述べる。
 天文学史に於いて、中国の唐代の玄怪録の時代、つ
まり、西暦825年頃から、奈良県の興福寺出土駒
(第1期)の時代、つまり西暦1058年の間は、

イスラムの科学が、ユーラシア大陸を制覇していた

と考えるのが、天文学史に於いて常識と理解している。
 つまり、”欧州は中世の暗黒時代の最中にあって、
科学・技術は衰退し、それを継承したのは、イスラム
帝国・アッバース朝その他の、イスラムの文化を国是
と掲げる強国の中の賢人によってであった”というの
が、天文学史に於いては常識との意味である。なお、
この状態は、概ね世界史的には

5世紀から始まり、14世紀まで続いた。

 だから、この頃が概ね伸長期である、世界のチェス・
象棋類は、全部イスラムシャトランジの特徴を継承し
ている。たとえば、イスラムシャトランジの発生以降
成立したとみられる、現存するゲームでは、

日本小将棋以外は、最下段格の対応駒種(チャンギの
漢と楚駒は2段目配置だが、最下段格駒とする)が、
イスラムシャトランジと、3種以上、駒の動かし方
ルールが一致

するという、共通の特徴を有している。むろん、某
通俗書を著作した、日本の独立行政法人の人類・歴史
文化系研究者が、日本の将棋の伝来元だと、決め付け
ている中国の象棋も含めて、その特徴を持っている。
つまりは、

中国のシャンチーだけでなく、東南アジアの象類、
西洋チェスも、皆そうだと言う事である。玉将しか、
同じルールの駒が無いのは、日本の平安小将棋だけ

だ。つまり、ユーラシア大陸では、テレビ電波が届き
にくいに例えられる、よほどの山奥で無いと、イスラ
ムシャトランジに、似て居無い将棋や象将棋を、敢え
て10~11世紀に指していたとは考えられない。そ
れほど、イスラム文化は、その当時は今の西洋文明と
同じく最先端であり”イスラム帝国の文化なら、取り
入れる必要のあるものは、全て模倣すべき”という時
代に、世界のチェス・将棋・象棋類は伸長期だったの
である。
 他方イスラムシャトランジに、似て居無いチェス系
ゲームは、歴史的にも日本の将棋と、玄怪録の宝応将
棋の2つだけだ。
 玄海録の岑順=小人の戦争は、亡霊の出てくる怪奇
小説である。一般に悪臭、騒音、余計な所まで照らす
夜間照明の弊害は、都会地の場合多いから、その情景
の雰囲気を作り出すのに、大都会の遊戯は不向きだ。
従って宝応将棋はこの事から、中国の都、例えば長安
で、”主に指された将棋”ではなく、アジアの秘境と
言った、山奥深い所で指された将棋ゲームを、著者と
される

牛僧儒が、彼の個人的な趣味で、将棋を代表するゲー
ムであるかのように、怪奇小説の中で記述した

と考えたほうが、むしろ相当に、尤もらしいしろもの
なのである。ちなみに小説の上での舞台は、”呂氏所
有の、古い山荘での出来事”と、少なくとも、玄怪録
の岑順の日本語訳ではなっている。以上のような、理
屈に気がつかないのは、特に、アッバース朝存在下の
イスラムの科学が、中世ではユーラシア大陸に於いて、
影響力が非常に強大であり、中国の宋王朝なども、積
極的に、惑星暦等で、それを取り入れていた、ほどだっ
たという事実を知らないほど、問題の某独立行政法人
の成書の著作メンバーが、恐らく総じて

よほど、天文学史に疎いからだとしか、本ブログの管
理人には考えられない。

 ”『日本の将棋中国伝来説が現在定説』というよう
な事実でない主張が、独立強制法人の組織の全体には、
実際には知らされないまま、世に出されていた”と、
反論すると言うのなら、

責任者は、再発防止の対応措置を取るべきなのが当然

だろう。
 それに対して、”解明:将棋伝来の謎”の著者の、
松岡信行氏の言う、”日本の将棋など、どこから来た
とも、とうてい考えられない”という論は、常識的に
見て

松岡信行氏の論が正論

だ。将棋が伝来した頃、中国を含めてユーラシア大陸
は、イスラム科学・技術文化の一色だったのであり、
イスラムシャトランジ的でない、平安小将棋が定着し
ているという事は、東南アジアの海端でも、南蛮人
渡来でも無いと、個人的に私は考えるのだが、人の行
き来の盛んな中国の都付近の中原を、仮に中国と言う
とすれば、

日本の将棋の伝来元は中国とは一見して考えられない

と見るべきなのは、充分に確かだと私は思う。
 以上のように思考すると、増川宏一氏の言うように、
以前ならそうだったのかもしれないが。今時中国文化
の思想としての信仰者など、概ね定年退職されて居無
い。そんな時代に、”日本の将棋の伝来元、中国中原
からの使者定説”との可能性の低い論が、日本の某、
独立行政法人内だけで定説とされているとみられるの
は、中世のユーラシア大陸における、科学・技術文明
の歴史を、従来より強調して論じた天文学史に疎い、
理科系でない文科系の人々が、日本の特定の一部の独
立行政法人内の人類・歴史文化系の研究分野のポスト
を、現行完全に占めているのを写している。つまりは、

理科系の人達を排除する仕組みを、完全に形成してい
たのが、根本的な”行政的な問題”だった

と考えた方が、将棋史界全体がそうだと考えるよりも、
より尤もらしいのではないか。
 増川宏一氏や、大内延介氏の著作が、それなりに現
行普及しているにも係わらず、某独立行政法人著作の、
通俗人類・文化系研究の啓蒙書のみで、偏った記載が
散見されるというのが現状なのであるから、増川氏が、
盛んに批判を加えていた時代と違って今では、

正常でないのは、日本の特定の独立行政法人内の、
しくみの中だけでの話だ

と考えるべきなのではないかと、私は見るのである。
(2019/07/30)

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