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二中歴の時代の「大将棋」人口(長さん)

増川宏一著書の「ものと人間の文化史 23 将棋Ⅰ
(1977年初版)」の第Ⅲ章「日本の将棋」によれば、
二中歴の時代、ざっと平安時代中期の11世紀から、
鎌倉時代初期の13世紀四半期最初期の225年間の間で、
自身の日記の類にて、(小)将棋、大将棋を指したと記載
した文献はたった5つと言われる。
従って、一応将棋には、最低でも計10人程度の棋士は
存在したことになる。
しかし実は、そのほとんどが「(小?)将棋を指した」と記載
されているだけのもので、はっきりと「大将棋を
指した」と名乗りを挙げているのは、一例だけである。
 よって単純に考えると、大将棋の棋士とみなせるのは、
10人のうちの、ざっと20%の二人だけと言うことになる。
それは誰かと言うと、すなわち、藤原頼長著書の台記の
(西暦1142年(康治元年)宣命歴9月12日)の所に、
「崇徳上皇の御前で(源)師仲と大将棋を指す」という
意味の「十二日一新院參、於御前与師仲朝臣指大將碁、余負」
との記載があり、藤原頼長と源師仲が「大将棋の棋士」
と言うことである。

実際学会では、「日記が今に残る公家なら、そこで『将棋』と
表現されていればほとんど大将棋だったろう」という意見も
ある中で、「二中歴に、『将棋』と記載して、小将棋が説明
されているから、日記に『将棋』と記載されていれば、
小将棋だろう」との意見もあり、大将棋のゲームとしての
流行度は、いまひとつ良く確定していない。

私は、単に「将棋を指した」との記載しかなければ、保留とし、
日記の中身に何かヒントがあれば、よく読んで、大将棋の可能性
が大と見れば、それを合計して集計したものが、日記を残せる
上記時代の上流階級の、大将棋人口の最適値に、だいたい近いの
だろうと考えることにしている。そして可能性が、ある程度大
な他の日記類というのは、
藤原定家の明月記(西暦1213年(建暦3年)宣明暦
4月27日)の、次のような記述、他にはこれだけだと思う。

「四位仲房、此間聊病気、昨日自云、心神已不弁前後太惘然、
是已及死期、試差将棋、即與侍男始将棋、其馬行方皆忘、
不終一盤云、已以爲覚悟、是即死期也、太心細、慾見家中懸、
侍男巡見家中了、安坐念佛二百反、即終命、不幸短命太可悲」

以上の記載から、明月記を読むと、将棋類の棋士が計3名
居ると推定できる。仲房、彼の侍男子、それに恐らく
藤原定家の三人である。
そこで問題はこの「将棋」が大将棋かどうかであるが。

小将棋だとして。計6種しかない平安小将棋の駒の動かし方の
ルールを、体調が悪いからと言って、はたして本当に忘れる
のかどうかが疑わしい、

というのが、私がこれを大将棋と見る、大まかな根拠である。
また、細かくこの漢文を眺めると。「私が言ったのではなく、
他人から聞いた話である」を意味する「云」が、不自然に
2回出てくる点も、あげられると思う。
この云の字は、「(四位仲房の)死」の字に併せて出てくる
と解釈する事は、恐らく倫理的にみて確かだと思う。他人の
死を軽々しく、第三者が断定できないので、「当人が言った」
と強調するための「云」の字だと読める。
ただ、前の方で「自云」と書き、以下の部分は全部、
四位仲房から聞いた話であることは、文脈より明らかなのに、
「云、已以爲覚悟、是即死期也」とは、やや、くどい気も、
私にはする。
二番目の「云」は、本当は不要なのではないだろうか?
なぜなら、この二番目の「云」により、「其馬行方皆忘、
不終一盤」から「已以爲覚悟、是即死期」とは一般的には
考えられない。

つまり、四位仲房の奇説である。

とも、読めてしまうからである。これは「云」の一字を
試しに消してみると、たぶんお分かりではないかと思う。
つまり、「まともで元気な人間は皆、『そのゲームは指して
いるうちに、どの駒をどう動かしてよいかわからなくなり、
一局終わるのも、容易ではないのが普通だから、自分はまとも
であり、元気である』と考えるのに、
四位仲房だけ、『自分が気が狂って、身も心も破滅が近い』
と考えている」と、藤原定家は明月記で記載していると、
とれてしまうからである。

前回、平安大将棋では、シャンチー等と異なり、攻め走り駒
を多少増やしたものの、玉将の動きは、八方隣接1升目の
ままとし、玉の詰めが難しいままにした点を示唆した。

つまり平安大将棋は、比較的終局に、なりにくい将棋である。

大将棋をある程度指していた藤原定家は、当時の常識として
以上の事を知っていたと、私は思う。従って、「四位仲房は
耄碌して平安大将棋の欠陥は忘れているようだが、大将棋を
指す能力自体が残っているから、本当は彼の死期は遠い」と、
明月記のこの部分は解釈すべきなのではないかと、私は考える。

よって、仲房、彼の侍男子、藤原定家、藤原頼長と源師仲
の計5名が「大将棋の棋士」。もろもろの日記全体で、棋士
は11名程度となるから、将棋を指す知識人の約45%が、
二中歴の時代は大将棋棋士というのが、だいたい妥当な
線なのではないだろうかというのが、私の意見である。
(2016/11/11)