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藤原道長と将棋(長さん)

藤原道長は、西暦1000年前後に藤原摂関政治の全盛
時代を築いた、藤原氏の頭領(長者)で、当時日本の
権力トップに居た人物である。将棋に関連した記録は
残っておらず、たまたま記録がないためか、あるいは、
将棋類のゲームに、彼自身は、特別には興味が無かった
のかもしれない。道長と将棋との関連性では、前回最後に
述べた、水無瀬兼成の祖先、藤原隆家が刀伊の入寇で、
後に金王朝の軍隊の、主要部となるとみられる刀伊軍の
日本侵略を、九州大宰府軍を繰り出し、果敢に防いだ
大きな功績にもかかわらず、京都の政府との連携性が
悪かった事を口実に、戦後冷遇された事を道長自身が
批判し、藤原隆家を戦後厚遇したとされる事が、僅か
にあげらるだろうと私は思っている。
 ひょっとすると道長は全く将棋を指さなかったのかも
しれないが、権力トップ、大金持ちの身分ゆえ、彼が
将棋の道具を、土御門の自宅に一応所持はしていたとは
充分に考えられると思う。もしそうだとすれば、当然
の事ながら、その道具は、当時としては最上級のもの
だったに違いない。
 道長の将棋道具が非常に高価で良いもので、ひょっと
するとその事が、外部に良く知れ渡っていたため、
それがたとえば、当時は普通の平安小将棋を指すための
道具だったとしても、

絢爛豪華な最上級の道具、そのものが特に目立つために、
藤原道長こそが、平安小将棋の棋士の象徴と、特に外国
からは考えられていても、おかしくは無いと私は思う。

 実際、西暦1000年当時には、他の氏(うじ)、
たとえば、源氏の誰それとか、平氏の誰それかが、
藤原道長とその一族ほどに、羽振りが良かったと
言う話を私は聞かない。なお、平安時代中期の藤原氏と
ともに大金持ちの対抗馬としては、一条天皇等、天皇が
居るが、日本が帝と武官とが別の国、すなわち平安時代
は軍事国家では無かった故、一条天皇自身が、最上級の
将棋道具を使って、武芸としての将棋を研究していると
いうイメージが、第三者、特に中国の知識人には、起こ
りにいのではないかと私には疑われる。
 中には「将棋を嗜む天皇」も居たのだろうが、天皇は
「日本人の象徴」で有っても、日本人の将棋文化の象徴
には、イメージとして、当時もなりにくかったのではな
いかという私見が、私には有る。
 しかし、そのありきたりのゲームが、中国北宋・高麗
の同類のゲームに比べて、性能がかなり劣っていたとし
たら、その100年後~150年後には、あるいは国の
イメージとして、外交上問題になってきたのかもしれな
い。藤原道長と同じく藤原氏の長者で、その150年位
後の後継の、院政から武家の台頭時代の藤原頼長が、
「大将棋」の文字を唯一日記に残しているのは、たまた
ま台記という文献が良く保存されたという偶然だったの
かもしれないが、大将棋の発生要因を示唆する、重要な
ヒントも秘めているように私には思える。(2016/11/14)