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中将棋の成り駒と西洋チェス型のゲーム改善法の比較(長さん)

 日本の将棋類に、西洋チェスのように、王様と兵を除くと
最弱の駒が八方桂馬だという将棋は無い。しかし、相手陣に
すべての駒が突入して、成った時点でチェスの類だと、仮に
考えるとすれば、中将棋はそのケースに当たっている。従っ
て中将棋の成立の中に、西洋チェス型の要素も、あったので
はないかと、一応疑えるかもしれない。しかし、私見では、
改善に、西洋チェス要素の部分的な存在の可能性も、否定し
えないものの、中将棋の製作者が「西洋チェスの方式で、
ゲームを改善すれば、将棋が面白くなるのではないかと
言うことを、作成の主眼点にしていた」とまで言える、
はっきりとした証拠は乏しいと考える。この私の考えが、
間違いだとすると、

平安大将棋と比較して、中将棋の猛豹の追加が謎だと思う。

元々平安大将棋に於いて、成らせる事によって、走り駒等に
しないと、八方桂以上の強さにならない、玉と注人と歩兵
以外の駒は、

金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、猛虎

の6種類である。中将棋では、このうち鉄将と桂馬は減らし
ているので、西洋チェス化の方針に合致するが、猛豹を新た
に加えて、角行という成り駒を、考えなければならないよう
にしている点等が、いささか余計である。
更に、中将棋の成りの規則は、不成りで敵陣に突入した時に、
再度成れるのが、相手駒を取ったときだけで、弱い点に目を
つぶっても、

相手の陣内に入れば成れる、という平安小将棋の時代の成り
規則を、より成りやすいように進化させたという形跡が無い。

よって、成り状態の中将棋で玉将、太子、酔象、金将
(と金)以外で、最も弱い駒が、横行であって、チェスの
八方桂馬には勝つとしても「中将棋の成立の中に、はっきり
と西洋チェスの手口を感じる」という所までは、行かないの
ではないかと思う。つまり、
 恐らく中将棋の多彩な成りは「ゲームが進んだ時点での
駒の数の減少を、駒個々の強度を強めて補う」という意味
合いの範囲に、依然留まるものではないかと言う事である。
なお、他の駒数多数将棋には、中将棋に比して、猛豹以外
にも、「成ってやっと強くなる小駒を含んでいる」という
点で、中将棋よりも更に、チェスの手法から遠いと思う。
 ただし、摩訶大大将棋に関しては、相手の法性や教王に
ついて、味方の駒で取ったときに、自分自身のではないが、
少なくとも成れる(相手の)という特殊な成りルールがあ
る。そしてこの成り代わりルールは、敵陣に突入して成る
規則よりは、より成り易いルールとして存在するという点
で、しばしば注目される。しかし以下は私の考えであるが、

 実際には成りルールで、安土桃山時代以前で、敵陣入り
条件以外のケースについて、記録が、これ一種しか残って
いないという点が、西洋チェス型の未知の、駒数多数将棋
の存在を推定するには、現状ちょっと苦しい所だと思う。

 もともと法性や教王の元の駒の、無明や提婆は小駒であ
るから、それが中段へ繰り出してくれば、走り駒・跳び駒
等こちら側の大駒で取られるケースが圧倒的であり、摩訶
大大将棋に於いては、金、銀、銅、鉄、瓦、石、土等の、
小駒の奔駒への成りには、このルールは余り寄与しないの
ではないかと疑われる。更にこのような、西洋チェス型改
善にとって、取り入れることが出来ない、”失敗ルール”
だけが記録に、運悪く残っていたしても、いろいろなルー
ルが、複数伝わっているのなら、中将棋と組み合わせて、
西洋チェス型の改良が、有った痕跡と言えるのかもしれな
い。しかし実際には、安土桃山時代に記録されたルールは、
私が確認した限りでは、これ一つであり、成りのルールに
ついての、中世の遺記録は、多様性が無さすぎだと思う。
 なお「大大将棋の駒取り成り規則」も、遡れても、発展
中の大将棋の存在し無い、江戸時代の記録よりのものと、
私は認識する。
 従って以上の事から、玉の段に隙間を作った将棋が、日
本の古将棋に見当たらないこと、成りの規則に多様性の記
憶が残っていない事、中将棋以上には、平安大将棋に対し
て更に追加した余計な小駒が存在する事等から、大将棋の
西洋チェス型改良路線は、西暦1300年頃の、普通唱導
集時代の大将棋までが主流で、それ以降は、主に獅子の特
別則の機能に期待する、中将棋路線に、次第に取って代わ
り、それだけに一本化されてしまったと、今の所考えざる
を得ないのではないかと、私は疑っている。(2016/12/08)