So-net無料ブログ作成

2017年1月3日晩~4日明け方日本で四分儀座流星群(長さん)

 以下このブログの表題とは別の話題ですが、3日前に、少し
触れた、りゅう座イオタ流星群、別称、四分儀座流星群の2017
年の状況について述べます。このブログに、この別カテゴリーの
記事も載せる気分になったのは、実際の観測結果情報が、なぜか、
余りにも少ないからです。
 啓蒙するだけで、結果が無い変なサイトが、余りにもWeb上
では、私には目に付きます。IMOの観測結果や、電波観測の結果
も、グラフとして情報がネットに流れていますが、読み取る力が、
発信者にはひょっとすると無いのでしょうか? ちなみに今年は、
日本では条件が悪くて、観測啓蒙が形だったという状況ではありま
せん。
 以下本文に述べましたが、今年の観測も、空の条件が月明かりが
無く、日本の観測は、特に大切な年でありました(以下も、気分で
「です・ます」調に、この記事だけ、調子を変えて記載します。)
 さて、電波観測で、ほぼ正確な結果がネットに流れていますが、
2017年1月3/4日日本の明け方(JST)で、5時20分~
55分の時点では、典型的な「四分儀は極大が過ぎて、坂を下って
収束しつつある」という出現パターンでありました。2013年や
2001年、1985年、1973年のように、「下りの途中で、
肩のような副ピークが出」ない年のパターンです。「ようするに、
自然界の力によって、全身に冷水を浴びせられたように感じた、
あの、1977年の四分儀の出方と同じ」と表現すると、個人的に
はピンとくるので、とても懐かしい限りです。

☆2017年の四分儀座流星群(1月4日明け方日本)
自宅で観測しました。(埼玉県K市某所)
 DATE 2017.Ⅰ.03/04
 TIME04d05h20m~05h55m(JST)
 観測総数2個 都立U高等学校OBラムカ内 1個 判定×
        四分儀群 最近の出方(長さんのまとめ)
   2017 |           ×
   2016 |
   2015 |
   2014 |       △~◎(日本平均◎)
   2013 |           △>P(電波)
   2012 |
   2011 |
   2010 |        ×
   2009 |            ×
   2008 |×
   2007 |   ×~△
   2006 |       △~◎(日本平均△)
   2005 |         ×->×
   2004 |△
   2003 |     △
   2002 |         △
   2001 |         ×->P
   2000 | ×
   1999 |     △
   1998 |        ×~△
   1997 │      ◎->×
   1996 | △        ×
   1995 |    ×~△
   1994 |        ◎
   1993 |         ×->×
   1992 | △
   1991 |     △
   1990 |         ◎
   1989 |           ◎->×
   1988 |
   1987 |       ◎
   1986 |           ◎
   1985 |           ×->P
   1984 |  ×            ×
   1983 |      ×
   1982 |           ◎
   1981 |           ×->×
   1980 |   △
   1979 |      △~◎
   1978 |           ◎
   1977 |            ◎->×
   1976 |
   1975 |       ◎
   1974 |           ◎
   1973 |           △->P(薮保男氏指摘)
        └───────────────────────────
   日本での日付け
         1月 4   4   4   4   5
   太陽黄経
     (1950)272.2  .45   .7   .95   273.2
   記号:◎:旧ZHR60以上 △:旧ZHR約50 ×:旧ZHR約20
      P:未確認ピークあり。


 事前にはWEBでも、極大は2017年1月3日23時(JST)
等と流れていたようなので、私もそうでしたが、それを信じた方は
がっかりするという事は無かったのでしょう。ただし、今から12
年後の、2029年1月4日明け方は、1973年のような事が、
当然予想されるので、今の日本流星研究会のwebに出ている標準
的極大時刻予想体系は、この年や、警戒して2025年のケースは、
信じないようにしたいものだと、私は今から心を引き締めています。
恐らく、木星の公転周期の11分の5倍で公転する、しばらく木星
に接近しないように軌道要素がふらつく、2003年EH1起源の、
塵の吹き溜まりの、内側部分への地球軌道への軽い接触が、
1足す13分の1年周期で、平均近点角で等間隔に5箇所四分儀の
母天体よりは、幾分小さな軌道長半径の軌道に存在するというのが、
この「藪保男の肩」という怪現象の、正体なのでしょう。(四分儀
ダストトレイルサブクラス「5葉の帯」)
 以上のように今年は、「藪保男の肩が出ない、西暦を4で割り1
余りの年」であるという事を確認するのが、四分儀群の観測の、主
目的でありましたが、幸い、その予想は間違っていなかったように、
私には見えました。
 逆に言うと、上で話題にした、四分儀群の藪保男の肩を作り出す、
木星公転周期の11分の5の四分儀サブクラスとは別の、盛んな出
現を作り出す、主なサブクラス帯、木星の公転周期の9分の4の、
四分儀サブクラス帯(4葉の帯)の状況についても、予想はたぶん
外れないだろうと、少なくとも私には確信できるようになりました。
このダストトレイル群と地球は、現在西暦を4で割って2余る年の、
1月4日の日本の明け方、つまり4年に一度、世界時で1月3日の
21時付近で、動径が0.98天文単位に近くて地球に良く当たる、
極大時刻地球軌道交差の、四分儀内の公転周期のたぶん最も短い、
地球の観測者にとっての、メインベルト帯です。この四分儀ダスト
トレイルの、観測者にとっての中心的サブクラスの挙動についても、
2018年1月4日の日本での明け方を含む、2026年頃までの、
今後の残念な「日本での盛んな出現予想の空振り」が、恐らく確信
させられたような気が、私にはなりました。
 むろん、四分儀には、母天体から放出されて100年位という、
もっと出現数の多い、濃いダストトレイルがあります。「出たばか
りの帯」です。3年前の2014年1月4日明け方の、やや多い出
現は、2003年のEH1が、たまたま近日点近くに回帰していた
ために、母天体に近い部分の、ダストの束が当たって、最近すっか
り慣れっこになった「9分の4帯の、切れ切れ隙間の穴を、4年毎
の日本が当たり年のはずの、西暦を4で割り2余る年の1月4日に、
地球が通過したための空振り」とは違う現象が、1回だけ、たまた
ま起こったで、合っていたように思います。
 それにしても1恒星年が、365日6時間9分10秒と聞いてい
る私は、その端数、9分10秒の効果が、何時になったら現れるの
だろうかと、この43年間待ち続けて来ました。1974年から
43年で、6時間以上、パターンがズレるはずなのですが、今の所、
効果は、ほとんどゼロに近いような印象です。
 つまり四分儀群の流星物質は、平均して太陽黄経で0.3度位、
値が小さくなるような、長い周期の軌道全体ミソ摺り回転型の摂動
を、主として木星から受けたのだと、察せられます。もしこの効果
が無ければ、今年あたりが、極大になるとき日本で、1月4日の夜
明け5~6時頃になっているはずです。ので、前記、木星の公転周
期の、9分の4の軌道の大きさがあり、かつ平均近点角の数値で、
等間隔に4つ組の吹き溜まりの間隔が、約1.318年で並んだ四
葉帯の、葉の間隔(降交点通過日の間隔)の、日本の観測者に対す
る、3倍が4.00に近いという自然の意地悪からは、別の年に極
大の分布点を見る、という状況になるため、回避できたはずなので
す。なおこの意地悪は、木星の公転周期が12年弱で4年の倍数に
近く、「歳星」と言われる事から、根本的には来るのですが。
 実際には西暦年を4で割って2余り年が、日本での4日夜明けの
極大状態であるというのが、四分儀群の、年率で地球の移動時間分
9分10秒分の黄経方向への後退移動のために、当分変化しないよ
うだと、外国(ハワイ?)へ行って、四分儀を見ないと、威勢の良
い極大には当たらない、という状況が、あと少なくとも12年、
西暦2020年代の終わりまでは、続きそうだという事に、なって
しまいそうです。1975年、1987年、はたまた2014年の
ように、母天体2003年EH1近傍の塵が、西暦を4で割って、
2か、その前後の年に地球に接触するのを、残りは期待するしかな
さそうですが、8年後の2025年はどうなるでしょうか。私はま
だ、母小惑星の軌道を、チェックはしてませんが、日本は極大時刻
後になり、見た目に華やかにはならないような気がします。更に、
2026年は、2014年と木星の直近摂動の条件がいっしょで
すが、そもそも、「出たばかりの帯」を木星が、1975年や、
1987年回帰部のようには、大きな動径減少の摂動を及ぼしては、
いないように見え、期待薄の計算結果予感もします。(2017/01/06)

二中歴小将棋と小将棋、公式小将棋(長さん)

 以上のべた事から、察せられると思うのだが、いわゆる
「定説の36枚制9×9升目1段目直線配列平安小将棋」
というのは、かなり特異的に、できの悪い小将棋である。

つまり、9×9升目のままでも、ちょっと手直しすれば、
容易に難点が回避できるほどなのだ。

従って「寺の隅等、社会の片隅で、単に道楽でゲームを
行って、楽しめば良い」と言うのなら、平安時代院政期に
も、できあいの、今は100円ショップで買える将棋の道
具から、飛車と角行を取り除いたものを使って、自分達で、
適当に配列を変えて、将棋ゲームを楽しめば良いだけであ
り、「定説の36枚制9×9升目1段目直線配列平安小将
棋」以外に、庶民は、いろいろな将棋をして楽しんだ、と
いう事でも、余りおかしくも無いように、私は見ている。

つまり、
「定説の36枚制9×9升目1段目直線配列平安小将棋
に難があるので、8×8升目の将棋盤を、地面にしろ、何
にしろ、わざわざ別に作成して、1升目小さな平安小将棋
だけを、わざわざ平安時代の末に指した」
という説は、もはや西暦1000年から150年も過ぎた、
その時代の将棋の姿としては、かなり不自然なのではないか

と言うことである。
実際、「玉列が直線でなければならない」と言うのなら、
以下のように、取り捨てルールのまま、駒を配列して、
1段目と9段目が、上下だけがつながった、「円環将棋」
を指せば、「互いの桂馬8段差問題」も、「互いの歩兵列
4段差問題」も、解決してしまうのである。
無題.gif
この事から、
単に「定説の36枚制9×9升目1段目直線配列平安小将
棋」に難が有っても、「持ち駒ルール」を小将棋指しが、
思いつく前に、多量の仏典の貸し出し札に接している下級
坊主等が、
隙を見て、鎌倉時代草創期以降に、大将棋を伸張させると
いうのは、よほどの事情があり、容易ならざる事

だと、私には予感させられる。
遊戯史学会では「二中歴小将棋は、現代日本将棋の類似物」
と決め込んでいる(定説になっている)状態だからと言っ
て、大将棋研究者は、その雰囲気の”ぬるま湯”に浸かっ
て、”大将棋の伸張には、もう、謎が無い”とタカを、く
くって、安閑としていてはいけないのだと、私は考えるの
で、ブログはそういう意味合いの題名にしてある。そして
この難問題を解決するヒントは、大将棋は宮廷貴族しか、
恐らく平安時代末には、指さなかっただろうと見て、問題
が少ないだろうと思われる事である。

つまり、

「定説の36枚制9×9升目1段目直線配列平安小将棋」
という、最低の出来損ない将棋が、宮廷貴族にとっては、
公の場で、儀式として指すよう、強いられ許されていた
唯一の小将棋類であったのだろう、と仮定できる。

そのため、

8升目から9升目の将棋以外の将棋を、
上流階級が主催者となり、公の儀式のイベント等で、途中
で頓挫しない晴れ舞台に相応しい、観覧用ゲームとして指
すための需要が、大将棋にはできたと、考える事が出来る。

ここで、恐らく公の披露される場所で、「定説の36枚制
9×9升目1段目直線配列平安小将棋」が無理強いされた
のは、左右対称で官製に則っている事、正方形盤で歪がな
い賛美的感覚、一段目が直線である事の配列の美しさや、
中国から伝来した各種美意識との整合性や、将棋が将、副、
象、馬、車と隣国のゲームで並んでいることとの対抗上の
合理性等、初期配列のみてくれの、東洋的美感覚だったと、
私には想像される。むろん、その時代の人間には、860
年後の現在、その36枚制将棋に飛車角を加えて、
40枚制で、”普通の将棋”が、指されている事は、知る
由が無いはずである。

 以上のように「定説の36枚制9×9升目1段目直線配
列平安小将棋」には、「もっともらしく帝の前で
将棋を指してみせるためには、初期配列も見た目に美しい
という条件も満たした代替が必要だった」というの
が、大将棋の出発点であると考えないと、出来の悪さの回
避方法が、小将棋のままでも幾らでも有る為、大将棋の、
世界に類を見ない、鎌倉時代の伸張は、全く説明が出来な
いように私は思う。

むろん、平安時代後期には、大将棋は宮廷の中だけの需要
だったのだろうが。鎌倉時代になると、それをスライドし
た形で、メモリアルな施設、寺院や神社でも、大将棋が
指されるようになったのだろう。特に駒の数が多いと、
道具を所持できるのは、セレブに限られた。そこで
栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡のように、南北朝時代の
下野の国の守護の館跡等から、大将棋系の駒が出土
したり、という現象の、原因になったのだろうと私は考え
ている。(2017/01/06)