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大江匡房は何をしたのか(長さん)

近代以降は定説としての言及が少ないが、平安後期の貴族、
「大江匡房(1041-1111)が、日本将棋を作った」と
いう話がある。
 「大将棋を記載した日記」、台記で有名な藤原頼長よりも、
少し前の人物なため、私見で私は、”大将棋が進展する、要因
を作った時代の人物”と目している。ちなみに、彼の伝説は前
回、江戸時代の将棋古文書の評価で述べた、「後奈良天皇の、
酔象取り除き」の話と、かなり似た話で曖昧に伝わっていると、
了解している。別のブログで空想で、私見で、その「酔象入り
将棋」の推定型を、私は述べた事がある。が、証拠が「大江匡
房が排除した酔象を使った将棋も、取り捨て将棋としては、面
白いはず」という点しか、述べられなかったので、その他人の
ブログでの評判は、ひどく悪かった。
 ちなみに、これで大切なのは、排除された将棋の中身ではな
くて、”その結果、日本の将棋がどうなったのか”である。な
ので、ここでは、その酔象入り小将棋の自説を、蒸し返しする
ことは、特にし無い事にしたい。興福寺の遺跡から最近出土し
た、不成り酔象の使い方に関する古文書が、将来、奇跡的に
出土でもしないと、どのみち何を言っても白黒は、付かないと
私は思う。さて、

ずばり大江匡房の時代以降、日本の朝廷では、今の日本将棋
から、飛車・角を取り除いた形で開始する、
駒数36枚で9×9升目制の取り捨ての将棋、現在平安将棋と
定説で言われているゲームだけが、公式には指されるように
なったのだ

と、私は考える。
 つまり、取り捨てルールで、飛車・角が無い点を除くと、初
期配列が、今の日本将棋とそっくりな、いわゆる標準タイプの
平安小将棋が、朝廷では儀式で採用されるように、大江匡房の
時代の何者かが、朝廷の上層部に働きかけ、その活動が実を結
んで、その時代にその通りになったのだと、私は推定するので
ある。

理由は、そう考えると、大将棋が記録に現れるタイミングと、
抜群に合うという事だ。

つまり、大江匡房時代の何者かの、上記の政策が、とんでもな
い誤りだったために、朝廷将棋会は、

しばしば演者が、着手し辛い、行き詰まり局面を生み出し、
見苦しい所を、天皇・上皇等、お偉方の前で見せるようになっ
たために、その原因に気がついた藤原頼長等により、大将棋が
ほどなくして、研究されるようになったと考える

と、話のつじつまが、ばっちり合うのである。
 個人的に本人には、濡れ衣のシロだったとしたら誠に申し訳
ないが、覚えやすいので主語はそのままにして、今後積極的に
遊戯史書等で、

「以下伝説で信憑性謎であるが、
『大江匡房が西暦1100年頃に、今の日本将棋に近い飛車角
だけ無い、他は同じ初期配列の、駒数36枚で9×9升目制の
小将棋を日本の将棋と決め、それ以前の別の種類の配列の将棋
等を排除して、日本の将棋を統一する働きをした。』とされる」

と、表現してみてはどうかと、考えている。こう表現すると、
大江が、日本将棋の父であるかのように、一時的に見え、更に
将棋史をある程度学べば、ちょっと違うと気づくという事が、
初学の者の頭の中で起こり、道理の理解が進むと思うので、お
おいによろしいのではないかと私は思う。つまりこの一件は、

優れたゲームに、見てくれが似ているゲームが、必ずしも、
優れたゲームに、なるとは限らない

という、教訓をもたらす典型例だと私は思う。
そのため、時代が下るに従い、だんだん将棋の形は、異国の
将棋から、現代のわが国の将棋に、見てくれが似ては来たのだ
が、その中間型が、実はゲームとして粗悪品であったために、
その山を超えようと、よりにもよって、日本の特に中枢部が、
大勢で長時間、もがいて手間を掛けている隙に、大将棋、
中将棋という、日本将棋(小将棋族)とは、かなり質が違う
ゲームを、なんと当の日本の中枢部が中心になり、別に生んで
しまったのだ

と私には、現時点でもかなり自信を持って、推定できる。
少し前に述べたように、少なくとも鎌倉時代終焉期の、新安沖
出土駒を見ても、持ち駒ルールは、西暦1300年時点でも、
安定しては居ないほど、その発生が遅かったとみられるほどの
「もたつき」があったのではないかという事である。それは当
然、その改善がしょせん、上流階級の、見栄え感覚の問題でし
か無い所から来る、改善行為自体の社会的広がりの無さという、
悪条件があったからというのが、根本にあると、私は見る。た
とえば庶民にとっては、平安将棋が8×8升目でも、9×9升
目でも、はたまた「外国風の将棋」でも、何でも特に構わな
かったはずなのである。

当時の日本の代表である朝廷で「指す将棋を統一する」という
のなら、提案者自身が、持ち駒ルールを最初から発明して導入
しておく位でないと、その提案者に、「日本の将棋の祖」の
イメージを持つのは困難である事

に気がつけば、我々の後継者の、将棋史の研究者としての腕が
かなり上がっていて、上記伝説の、真偽の研究自体の進展も含
めて、今後大いに将棋史の発展が楽しみになったと、当然言え
るのではないかと、私は考えるのである。(2017/01/10)