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将棋の駒の今後の出土の期待度(長さん)

 webの情報を読み、日本全国レベルでマクロ的に思考
してみると、

現在の所、埋蔵されている将棋駒は、部分的にしか、発掘
されていない状況ではないかと

私は予想する。もともと将棋駒遺物は、発掘考古学者が持
つイメージでは、通常木簡の類とされ、
”木簡類は西暦1000年以前の遺跡から、多く出る物”
と私に言わせると、見当違いの”アタリ”が付けられてい
るのが、災いしているように見えるからである。
他方、遊戯史の現在の主流の考えによれば、

将棋ゲームの日本での発生は、西暦1000年前後である。

従って、
彼らの主として木簡を探している遺跡からは、将棋駒が、
比較的、稀にしか出ない条件のはずである。
私も、木簡研究のwebサイトを見て始めて知ったのだが、
どうやら興福寺第1期出土駒を発掘した等の発掘担当考古
学者は、私などとは大きく違い、興福寺遺跡からの将棋駒
を、

西暦1058年記銘の、その界隈の遺物としては、かなり
新しい出土物品である

とイメージしているらしい。
私などが「日本将棋ゲーム発生よりほどなくしての、とて
も古い物品が出土した」と思っているのとは、正反対の、
大成果に対する御謙遜である。
 つまり、奈良県庁の西と東の井戸跡は、奈良の都を発掘
研究している、奈良の考古学研究者にとっては、平城京付
近等から大量に出土した木製品に比べれば、比較的新しい
時代の遺跡の発掘研究と、どうやら写るらしい。彼らとし
ては、奈良県でも、近鉄奈良駅から、相当に離れた県の外
れのほうの、中世になってから地方武士団等が、寝泊りし
ていた館跡等で、木製品遺物を探す研究を、「木簡は古代
の遺品」の常識から、今の所残念ながら、余りしていない
ように私には見える。
以上の経緯から、少なくとも木製品遺物研究の進んだ奈良
県には、西暦1000年以降の遺物の出土に期待している
我々から見ると、未調査のゴミ捨て場の井戸跡が、まだ多
数残っているのではないかと、私などは期待する。つまり、
奈良県と言えば奈良時代だが、今後の遺跡の発掘の成果に
ついては、余り時代を決め付けないほうが良さようだ。
 たとえば神奈川県鎌倉市といえば、鎌倉時代だが、市内
の学校の建築現場から、律令時代の鎌倉郡衙の木簡が、
あるとき見つかって、たいへんな話題になった事が、ここ
の論とは逆パターンだが、あるようだ。

ただし、時代が下るほど、遺跡は現在の市街地と、重複し
やすく、その分出土の条件が悪くなる。

そのため、たとえば大型小売業者の店舗の建設のために、
奈良県では木簡の遺跡が、後日破壊されてしまったという
事があるように、市街地の真下なため、中世の将棋の駒の
遺物の発掘は、事実上不可能になる確率が、古代の木簡遺
跡よりも、更に高くなってしまうのかもしれない。
京都の遺跡からの、中世の遺物の発掘が停滞しているのも、
平安京でも東の方は、現在の市街地と重なっているから
かもしれない。たとえば一例を挙げれば、
 下野宇都宮氏の南北朝時代の、扶持衆の居住地としても
使われたのかもしれない、京都下屋敷が、四条烏丸大丸の
所に、仮に有ったとすれば、その地中に、
「宇都宮貞泰、宇都宮義綱、小山よし姫、宇都宮元綱が使
った摩訶大大将棋の駒が万が一眠っている」としても、
今後の発見は、奈良市の長屋王邸木簡多出土の遺跡同様の
経緯で、難しいのかもしれないと危惧はされる。
何れにしても中世の豪族の頭数は元々多いから、将棋ゲー
ム程度の遺物を捨てた井戸跡が、現在までに、わが国では、
すべて調べつくされているとは、とても思えないように、
私には思われる。(2017/01/14)