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乾党、長谷川党と、摩訶大大将棋(長さん)

 前々回、その前の回で私は、奈良県の豪族、筒井氏
の本拠地や、十市氏の本拠地で、今後中将棋と摩訶大大将棋
の駒が、出土する事が期待されると述べた。
 所で、この2つの南北朝時代から戦国時代にかけての奈良
県豪族の絡んだ戦乱で、私のような、全く別の地方に住む者
にも興味が持てるほど、影響が広域なものの例として、
たとえば、戦国時代天文年間、西暦1532年の、
天文の錯乱の一部「一向一揆の、大和国への侵略」があると
思う。
 著書や情報は多いが、それらを総合すると、この奈良県で
の合戦は次のようにとらえられる、すなわち、

 それまでどちらかといえば、内部で抗争が頻発したものの、
浄土系宗教の特定の一派、浄土真宗を保持するという点では、
教団防衛主義的に動いていた、北陸を中心とする一向一揆が、
教団原理主義軍として、攻めの姿勢に転じ、仏教界における
浄土真宗以外の、他宗派に対する、排撃姿勢を明確にした結
果、それまで他者からの支持という点で、どちらかといえば
同情的で、上昇ムードだった一向一揆が、それ以後「排他主
義者の集まりである」と見なされて、外部からの支持・合流
に、陰りが見え始めるようになる時代の分岐点が、
奈良県における天文年間の土一揆的騒乱、大和国本願寺一揆

であると、私は理解している。
なお奈良県における、一向一揆からの、天文の錯乱時の被害
程度は、webの情報からだけでは、はっきりとはしない。
が、専門書を紐解くと、彼らがターゲットとしていたとされ
る、興福寺本体に対する打撃は、比較的少なかったものの、
その末寺や、関連御坊等が、壊滅的な打撃を受けたとの事の
ようである。なお奈良の春日神社は、一揆から直接の攻撃を
受けた。
 ちなみに1532年当時は戦国時代の最中であり、治安維
持できるような公的勢力が存在しなかった。わずかに地元の、
有力武家である木沢長政が、筒井氏の率いる乾党や、十市氏
の率いる長谷川党を従えて、一向一揆の進撃の防御を、主と
しておこなったとされている。つまり、

乾党や長谷川党は当時、反一向一揆的な勢力だったのである。

よって、これらに所属する豪族は、当然だが、阿弥陀教に
対して、この時点(西暦1532年)で、否定的立場にあっ
たと、推定できる。
 他方、以前のべた摩訶大大将棋に関して、次の特徴が指摘
できると、私は思う。

①玉将の成りが自在王である。ところで、自在王という単語
より、世自在王が連想され、webで検索しても誰でも直ぐ
判ると私は思うが、その程度しか関連単語は無いと、私は認
識する。世自在王は言うまでも無く、仏教では、阿弥陀如来
の先達である。従って、この将棋の玉将は、他の将棋種とは
異なり「やがては世自在王の理想を、継ぐ事になる阿弥陀如
来」と、ほぼ特定されると私は見る。なおこれは将棋である
から、ゲームとしては、一方の阿弥陀如来が、他方の阿弥陀
如来を倒すべく、勝負をするのである。これは、一向一揆
内で行われた、有力寺院間の、主導権を争う騒乱を馬鹿にし
たり、見下して、模して作られたもののように見る。
②なぜか、この将棋では酔象の成りが、同じく宗教的色彩が、
強い単語とは言え、”釈迦”を意味すると見られる、太子に、
なっていない。仏になれるよう、真剣に探求を続けている
修行途中の若い賢人、善財童子と神仏習合で、同一視される
ようになった、若王子を連想させる”王子”になっている。
もともと、釈迦は人の死の悲しみを救う事を目的に、仏教を
開いたのであり、殺戮を連想させる合戦の戦法に熟達する、
戦争ゲームとしての将棋には、似つかわしくないのであるが、
この将棋種では、特にこの点が強調され「阿弥陀如来を頭目
とする戦闘集団に嫌気が差して、釈迦が、摩訶大大将棋だけ
からは、特に手を引いた」ような印象を与えるような、ルー
ルに改ざんされている。なお、水無瀬兼成作の将棋部類抄に
は、摩訶大大将棋の酔象の成りが、王子である点について、
複数個所に記載があり、タイプミスとは、私には考えられな
い。
③仮に後期大将棋が、よりポピュラーなゲームだと見なすと
すれば、提婆、教皇、無明、法性、狛犬、夜叉、羅刹、
金剛、力士、摩カツ、と、一言で言えばそれに、仏教駒を加
えて、作られたと言っても良い将棋が摩訶大大将棋である。
つまり素直に見れば、仏教界の開祖、釈迦の理念からみると、
明らかに「有ってはならない最悪事態」を模したゲームにな
っているようにしか、少なくとも、私には見えないゲームで
ある。
④淮鶏と仙鶴、蝙蝠(または、古時鳥)というように、中国
の故事にちなんだと、明らかに判る駒名の駒を加えている。

上の事柄のうち④については、なおも不明であるが、①~③
については、

この将棋、摩訶大大将棋が西暦1532年の、天文の錯乱の
時代に、仮に存在したとすれば、
乾党や長谷川党の武家が、一向一揆を、”見下すべき卑しい
者共”と認識して、それを鎮圧する行動の、正当性を強く暗
示させるような、対大和国本願寺一揆に対する反撃軍の戦士
としての、精神的支えになりえる内容に、ちょうどうまく
なっている

と、私には言えるかと思う。あるいはより積極的に、

乾党や長谷川党に所属する人間が、摩訶大大将棋の成立に、
何らかの関与を、あるいはこのときしているのかもしれない

とさえ疑われるのである。よって、以上のように未だ漠然と
してはいるが、摩訶大大将棋の解明のために調べる勘所の
キーワードとして、

筒井、十市、乾、長谷川、といった、特定の種族の名前を
挙げる事ができるのではないかと、私は考えているのである。
(2017/01/20)