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木製品遺物初発見!。ただし場所が「謎」(長さん)

2017年1月28日土曜日午後4時、

松伏町・下赤岩/吉川市・川藤・須賀遺跡(仮称)を調査中、
ついに私は、木製の遺物類似の物体1品に、初めて遭遇した。
無題.gif
しかし、
この物体の発見場所は井戸跡とか、発掘中の遺構ではなくて、
細い農業用水路の、コンクリU字溝の付け替え現場の近くの
道端であり、
余り劣化が進んでおらず、年代は謎の、中世にも使用された
と、図解・日本の中世遺跡(2001)東京大学出版協会の
127ページの上段に記載がある、衣類を製造するための、

糸巻きのリールの輪部分に似た、ドーナツ状に穴の有る
木製板で、

発見場所が、吉川市須賀西端の、土器の破片の分布中心点か
ら、ちょうど1km西にズレた、松伏町でも吉川市でもない、
埼玉県越谷市増林三丁目の、

奇しくも、越谷市教育センターの玄関前の道路端であった。

 なお、この施設は館内の案内図を見る限り、越谷市市内の、
小中学校の管理職が、自身の学校で使用する教科書を決める
ため、使用教科書を検討したり、打ち合わせをするための施
設と取られるような、表示となっている。なお越谷市増林の、
地区内の集会のための施設が、同じ棟に同居している。
 社会科の先生が、埼玉県越谷市市内の遺跡について研究す
るのに場所が適しているので、比較的交通の便の悪いここに、
越谷市は教育センターを、建設した訳では、どうやらぜんぜ
ん無さそうであった。
ではいったいどこで、埼玉県越谷市では

実体として、歴史の研究をしているのかと言うと、
今の所、少なくとも私には、実態が良くわかっていない。

 ところで私には、この遺物の発見場所が、吉川市須賀の土
器分布中心点からは、かなり離れているという懸念を、感覚
的には受ける。1kmちょうどだから、許容圏内とは、言
えるのかもしれないが。そこで、念のため、越谷市教育セン
ターのまん前で、細い用水路工事をしている、工事現場へ行
き、他に遺物があるかどうかも、チェックした。ここでも、
何か、陶器の破片のような細かい物体は、比較的簡単にみつ
かる。
 従って、私の発見した「糸巻きのリールの輪状」の遺物も、
せいぜい、明治以降の近代のものであるにしても、用水に落
ちていたため、余り腐食せず、今回工事でたまたま掘り出さ
れて、道路に土砂といっしょに積まれた物が風で少し飛んで、
越谷市教育センターの門前の道路に、たまたま落ちていたで、
余り不思議ではないように思われた。用水に落ちる前も、
軽い物体である事を考えると、たまたま東風に飛ばされて、
吉川市須賀付近から、飛んで来たものであったとしても、こ
の点も、特におかしくは無さそうだった。道端に散乱する、
破片程度の小ものであれば、中心点から、たまたま1km
程度、何らかの原因で移動しても、有り得ないというほどの、
事でも無いのだろう。
 風に乗って飛ばされる等して、少し移動する、木製遺物、
出来れば将棋の駒を今後も求めて、埼玉県吉川市川藤・須賀
発生源の遺物を、隣接する埼玉県越谷市増森や、
埼玉県越谷市増林等、中心点からやや離れた所で探す事も、
これからも、一応覚悟しなければならないだろうと、今回の
経験から私は、真剣に考えるようになったのだった。
(2017/01/31)