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埼玉県越谷市増林字城ノ上付近に出土物(長さん)

 以前、徳川家康がらみの、鷹狩りの元の館跡があるとされる、
伝下河辺本家の遺跡の西方2km地点、埼玉県越谷市増林字城ノ
上の調査について述べた。町は整備され、田んぼの用水路は残っ
ているものの、遺物の出土は、期待薄との事だった。が、その後
西暦2017年2月5日11時すぎ、越谷市立城ノ上小学校の、
150m南、越谷市保健所前の舗装された路上の、歩道に
付設された花壇の中に、古銭のような金属製の物体を初めて発見
した。
この丸い硬貨上の物体は、表面が錆びて完全に、読めなくなって
いるが、以下の写真のように、原寸大のコインを紹介した書籍と
並べてみると、
1sen.gif
大きさおよび、実は重さも、概ね明治から大正時代の一銭銅貨と
ほぼ同じである。

ちなみに、個人的には私の場合、この時代の一銭銅貨は、母方祖
母から、オモチャとしてもらって、昔現物を所持していた事があ
り、劣化が少ない現物に触れた経験が有る。1銭銅貨は大きさが
二種あったと記憶するが、大きい方が、確かにこんな感じだった
ように思う。何れにしても、残念ながらこの、地面に直接転がっ
ていた物体は、近代の遺物である。
 よって、この遺物は、鎌倉時代どころか徳川家康の鷹狩りの江
戸時代にもとどかず、高々明治時代程度のものと見られる。更に
ここに、古銭が落ちていた理由もはっきりしないが、経験上は、
神社や寺で地蔵等の、賽銭受けを有する場所に、古い時代の、
ビタ銭の、おこぼれが見つかることがある事を、私は栃木県栃木
市星野の大応寺の境内で、前に経験している。落下地点は、何れ
の時代にしても、武家の屋敷跡を示しているのでは、残念ながら
無くて「神社・仏閣近くの、人が余り通らない所」である事を示
していると思う。
ちなみに、

この地点に最も近い、賽銭が普通に存在する、神社らしい神社は、
埼玉県越谷市の久伊豆神社であるとみられる。

 戦後、貨幣価値が暴落して、一銭銅貨が落ちていても、特に誰
も見向きもしなくなり、そのうち劣化して、いっけんすると何だ
か判らなくなったため、たまたま、越谷市の久伊豆神社から、ほ
ぼ東に約1.5キロ前後離れたこの地点に、風化したまま、
一銭銅貨が一枚転がっていたのかもしれない。
 周りは完全に都市化が進んだ風景で、もう100mほど東北東
に移動しないと、田んぼが出てこない市街のヘリである。なお近
くに、越谷市の保険所の建物がデンと建っており、”遺跡”とい
うイメージは、ほぼ無い所である。また道路に自動車がひっきり
無しに通っているが、普段人通りが、さぼど激しくない所のよう
である。そのため、このようなケースはお金の一種が、地面に露
出した状態で、長い年月転がっている事が、21世紀の、現在の
街中でも、充分に有り得る事なのであろう。以上の事から、現時
点でも、埼玉県越谷市増林の城ノ上遺跡の遺物を、私は見たと結
論しない。つまり、

埼玉県越谷市の久伊豆神社の周りには、恐らく江戸時代から民家
があって、よって明治時代頃にもヒトが居り、武蔵武士の野与党
に関連するとも言われる、久伊豆神社の近傍で、近世から近代の
遺物が、時に発見される事が、実際にも有るらしい

と、今の所私は、この古銭らしい物体の発見を、解釈しているだ
けである。(2017/02/08)