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松伏町大川戸光厳寺付近の調査(長さん)

 中将棋の駒を出土させた、静岡県焼津市の小川城の長谷川氏
の本家である、下河辺氏の館が、埼玉県北葛飾郡松伏町の下赤
岩にあるともされるのだが、その下河辺氏は下河辺行義の代に、
総本家の小山政光と兄弟の関係になる。父親の名前に、不確定
性があるが、太田行政とも伝えられ、太田行政の長男が、小山
政光、三男が、下河辺行義である。なお、静岡県焼津の藤原秀
郷流長谷川氏は、下河辺行義の次男の更に分家である。他方、
太田行政には弟に、大河戸行光がおり、代々、大河戸氏を名乗
る。この下河辺行義の叔父の本家の館が、下河辺本家の館と
同様、埼玉県北葛飾郡松伏町の下赤岩の約3.5km北の、
埼玉県北葛飾郡松伏町大川戸の、光厳寺付近にあるというので、
2017年2月8日午後にチェックした。結果確かに光厳寺に
は、松伏町の教育委員会あたりが、昔建てたらしい、「この付
近に、大河戸氏の館有りと伝わる」との旨の、建て看板が立っ
ていた。ただし残念ながら、大河戸の館の存在を示唆するよう
な物的証拠は、少なくともこの光厳寺の周辺には特に無いよう
に、私には見えた。

 むしろ、ここから400m位北にある、松伏町大川戸の
八幡神社(はちまんじんじゃ)の境内に、神社の紋の入った屋
根瓦が、落下した後に、2017年2月現在、本殿裏の回廊に、
野ざらしで放置されていた。そしてその神社紋が、小山氏の家
紋と同じ”二つ巴紋”であるため、松伏町大川戸北端付近の
八幡神社周辺に「付近が大河戸氏の領地跡」らしさを、私は
むしろ感じた。

なお、大河戸氏の家紋は、二つ巴ではなくて、菊であるともい
われ、仔細は良くわからない。他方光厳寺の周辺は、松伏町
下赤岩の香取神社同様、私には強いヒトケも、特には感じられ
ない。ただし、光厳寺の南西50mの古利根川の川原近くに、
道路幅程度の空地があり、石碑の基礎が散乱していた。個人的
には、船着場の跡を連想させるような、風景だった。なお、
光厳寺の建て看板によると、この寺南西50m地点には以前、
仏教界への入信記念碑(帰依)の旨の石碑が立っていたといい、
同様な物は、大川戸の光厳寺から南へ2.5km程度離れた、
同じく松伏町上赤岩の源光寺にも現存するとの説明があった。
大川戸の光厳寺や、上赤岩の源光寺は、古利根川沿いである事
が共通であり、地形から見ると、鎌倉時代頃から、点々と
荷下しをする、船着場が作られていた事を示しているような、
感じも私にはする。

以上の事から、松伏町大川戸にしても松伏町下赤岩にしても、
吉川市川藤榎戸ほどには、中・近世の大勢のヒトの居住地とは、
特に感じられない所のよう

に、今の所私には思える。(2017/02/10)