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”松伏町赤岩埋蔵金”の出土状況調査(長さん)

 昭和54年(1979年)、埼玉県松伏町上赤岩、中世の、
下河辺荘赤岩郷外河にて出土した、埋蔵金の出土状況を調査す
るため、西暦2000年3月に発行された「歴史の旅 まつぶ
し第3号」を、2月15日に入手し調査した。特に知りたかっ
たのは、そもそもどのくらい掘らないと、この界隈では遺物が
出ないのかと言う事である。「歴史の旅 まつぶし」の中世遺
跡調査部会の見解によると、”通常中世の遺物が、この界隈で
は、メーターオーダーの掘り込みをしないと、遺物の層には達
しないとされる”所、この埋蔵金については例外で、”地下
約40cmという、破格に浅い地点から、4000枚強の小銭
がいっぺんに、コモのようなものでくるまれて、出土した”と
の旨の内容が、この文献には記載されていた。よって、
松伏町赤岩(上・下)周辺各地の遺物については、

 造成工事中に、埋蔵物が移動するなどして深度が浅くなり、
地表付近に浮かんだり、極端な場合には、地表に露出する事が、
時にありえる

と解釈できそうである。
 現在私もこの一帯、前回話題にした、長谷川平蔵の先祖の、
静岡県焼津市小川城の城主、長谷川氏の本家である、下河辺氏
本家の館跡が有るとも、webには記載されている、埼玉県
北勝葛飾郡松伏町赤岩(上・下)を含めて、埼玉県北葛飾郡
松伏町、埼玉県吉川市北部を、見て回っているのだが、その際、
単に地表を探しているだけで、掘り込みは一切していない状態
である。しかしこの記事を読む限り、埼玉県南部は、特に近年、
宅地開発で造成地が多いため、

 歩いて遺物を探すだけでも、長谷川平蔵の祖先関連の将棋に
関連する、遺物の手がかりを得るには、何もやらないよりは、
それをするだけでも、やった方がずっとまし

との印象を、この松伏町の歴史広報から、私は読み取れた。
なお、記事をザッと読む限り、年貢米を換金した銭、重量で、
約13kgを地中に埋蔵したのは、明の洪武通宝が含まれてい
ることから、早くても西暦1368年以降、南北朝時代後期の
鎌倉公方、足利氏満の時代頃の、話のようである。つまり小山
義政の乱を収めて、下河辺荘を当時平定したとされる鎌倉公方、
足利氏満へ、従うふりはしているが、その恐らく、その過酷な
納税政策等を快く思わず、石高を小さく見せかけたいと考える、
荘園領主の称名寺や、有力農民が、資産隠しのために、銭の
一時埋設を行ったのではないか、との印象の書き方が、「歴史
の旅 まつぶし第3号」を読み、私には感じられた。なお、
出土した時点での、4000枚強の銅銭の状態は、必ずしも良
くないという。つまり重ねて束ねられた銭が、百枚程度の、
何とか剥がせた銭を除いて、互いに、溶着した状態で見つかっ
たとされている。そのため、この埋蔵金の時価は、残念ながら、
さほど高額では無かったようである。(2017/02/16)