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興福寺出土小将棋駒で、持ち駒ルール有りと推定できるのか(長さん)

以下個人的見解であるが、私は

 興福寺出土の酔象駒および、酔象と書かれた木管を含む将棋の出
土駒は今の所、8×8升目32枚制原始平安小将棋(金将右一枚のみ)
および、酔象を用いた場合には、その変則将棋用の駒であり、裏面
から表面の文字は、確定困難と私は解釈する。よって持ち駒ルール
の将棋には、この出土駒を使用していないと考えている。

これは、有名な成書、将棋の元プロで九段、関西将棋会館内にか
つて、存在した将棋博物館の館長もされた、木村義徳先生の
「持駒使用の謎」の見解とは大きく異なるものである。
 以前はwebの模写図を見て、歩兵の成りの字体が、歩兵固有の
それから、確か1枚しか出土していない、銀将の成り金に類似の字
体にまで、大きくバラツイていたため、木村先生の説に、賛成しな
かったという程度の理由であった。そこで最近、昨日までに話題に
した、天童市将棋資料館が2003年に出版した「天童の将棋駒と
全国遺跡出土駒」で、特に写真を再度詳しく確認しなおした。その
結果、木村義徳先生の書籍「持駒使用の謎」で”(10)”と番号
のふられた、”桂馬”の成の書体が金の第3画目の横棒と、その下
の横棒が、まとめて1本に省略されているように見える、特殊な字
体である点を除いて他は、概ね、

実は全部、成り銀も成り歩兵も”金く”と読める2字(?)で統一されて
いて、早期持駒説には、必ずしも有利な出土物ではないのではない
かと、やはり思われた。

なお、この遺跡からは残念な事に、香車駒が出土していない。
模写図では、歩兵の成りの字体は、個別の駒によって、ばらついて
いるように書かれているのだが、字は薄くなっており、全部”金く”
であると、持ち駒説には不利になるように見ても、天童カタログの

写真からは、大きな矛盾が起きない

ように私には見える。
ただし、半分に割れた破片であるため、充分に明確とまでは言えな
いように、私には思えるものの、「持駒使用の謎」、「天童の将棋
駒と全国遺跡出土駒」両方共に、カタログ番号で(10)番の桂馬
についは、写真でも、金の第3画目の横棒とその下の横棒との間の
スペースが短く(ほとんど無く)、他の全ての成り金駒とは、確か
に、書体が違うように私にも見えた。
 ただし、これが”現在の成り桂馬の成り金文字”と言えるかどう
かについては、私には個人的には賛成できない。金の第1画目と
2画目の”ハ”の字のそれぞれの長さは、模写図からは、現在の
成り桂馬の成り金に、似いていて、他の種類の駒の成り金と違うよ
うにも見えるが、天童カタログの写真からは、カタログ番号、両方
9番の銀将の成り金の、第1画~2画の”ハ”の字型と、余り差が
無いようにも見え、微妙だと思えるからである。出土までに、これ
らの出土駒の劣化が、かなり進んでいるのは、残念な事である。

つまり興福寺の、初期に発掘された出土駒の模写図が、それほど
確定的な図だとは、私が個人的には、見てい無いということである。

 しかし何れにしても、カタログ番号(10)番の桂馬の成り金の
書体は、その他全ての、興福寺出土駒の書体と、確かに少し違うよ
うである。言うまでも無く、見つかっている桂馬が、現在でもこれ
一枚だとすれば、たまたまの、書き損じだったのかもしれないし、
ここから何かを直ぐに、導き出すのは難しいのではないかと、私は
個人的には考える。ただし、1058年頃に指された将棋に関する、
何かの情報が、ここに隠れている可能性は完全には、捨てきれない
と当然見る。そこで以降、”桂馬の金の横棒が足りない”一件とし
て、私はこれを永く記憶しておく事にしたい。(2017/04/06)