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京都府上久世”酔象駒”を、再度よく見てみる(長さん)

平安時代後期に酔象が将棋駒として存在した事を証明した、興福寺酔象駒、
戦国時代に酔象が、小将棋駒として存在した事を証明した、一乗谷酔象駒、
江戸時代にも、中将棋が依然盛んであった事を証明した、本郷元町酔象駒
と、それぞれが将棋史にとって、皆重要な3個の酔象駒に並んで、もうひ
とつ、”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”を読む限り、
鎌倉時代から南北朝時代にかけての将棋種に、酔象が存在した事を、強く
示唆すると読み取れる、京都府上久世城之内酔象駒(以下、上久世酔象駒
と略記)を、再度写真等、今回よく見直してみた。
 発表された時代が、一乗谷駒と同一の1970年代のため、恐らく一乗
谷駒をリファレンスとして、駒種が何かを、研究者は推定したのだろうと
仮定し、同じようにして、模様からどう読めるのかを、私もじっくり、再
度見てみた。中央やや右の縦のラインに、墨が残っていると、考えるので
あろうか。右辺の中央より下に、象の字の上の、日の字が横になった図形
が見えると読むのか。やはりはっきりとは、私には良くわからない。
 ただし、ありがたい事には”天童の将棋駒と全国遺跡出土駒”には、駒
の大きさの一覧表が、詳しく載っている。それによると、上久世酔象駒は、
数百枚発掘されている駒の中で、

だいたい10番目位に、大振りの駒との事である。

この駒は、計ると長さが4センチ有るというが、長さ4センチ台の駒は、
この酔象駒を含めて、10枚位しか出土してい無いらしい。ただし、
興福寺酔象駒が、大きいのか小さいのか私は知らない。天童カタログ以降
に発掘されたので、寸法は別の情報を調べてみないと、私には良くわから
ないからである。何れにしても、上久世の酔象駒レベルの大きさの駒は、
作りがルーズで、大きさがばらばらな、一乗谷駒のような例外が、少し
有るものの、

上久世酔象駒の大きさの駒木地は、通常、玉将駒用に使用される事が多い

ようである。
この駒に書いてある駒の字の読みが、仮に間違ってい無いとすれば、これ
は、相当に重要な情報だと私は思う。
上久世酔象駒は、中将棋なら、文字通り玉の右隣に置く酔象か、師子に使
用される、重要駒用の駒木地に、字が書いてあるケースと見て取れるから
である。つまりこのケースは、どう成果を控えめに見積もっても、

上久世遺跡の時代の上限(南北朝時代、新しいケース)には、中将棋が
有った事を示すか、少なくとも成った状態で、太子に成るため、玉将が
取られても、負けにならない将棋種が、鎌倉時代から南北朝時代に1種以
上、京都付近に存在した事を示している

事になるからである。つまり写真を見る限り、裏はエグレていて、この駒
の場合成りを読むのが、あまり期待できないようなのだが、幸い、用途が
判るように、大振りに作ってあった事が幸いし、駒が劣化してしまった悲
劇を帳消しにして、太子成りを示している可能性が、強いようである。字
を読んだ研究者も、駒の全体的な雰囲気から、恐らく”一乗谷酔象駒に類
似”を、直感して新聞発表したのだろう。何れにしても、個人的には、
劣化が進んでいるので、一部の書籍に、クエスチョンマークが付いている
ように、読み間違いが無い事を、心より祈りたいものだと思う。
 万が一読み間違いなら、玉将の劣化駒である、可能性が最も高そうだ。
なお、私の13×13升目108枚制、普通唱導集大将棋では、中央筋の
下から2段目に酔象が無いと、猛牛が導入できないので、108枚制が作
れず、正直

この駒が酔象で正解であってほしい所である。

 どう読むのか。まだ私には、完全には理解できないではいるが。今から
約40年前に、この京都府出土駒を、執念で”酔象”と読んだらしい、研
究者の方には、よって私としては、頭が下がりっぱなしである。
(2017/05/24)