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11世紀初頭の大理国の立体駒に、前と後ろの区別のある根拠(長さん)

岡野伸氏著書、1999年自費出版の「世界の主な将棋」によると、チベッ
トに、チャンドラキという古将棋があり、ルールはシャトランジ型(副官が
中国象将棋、シャンチーの士型)だが、立体駒の形は写実的で、玉駒等には、
顔があるという。なお、同書にチャンドラキの詳しい解説は無いが、立体駒
はほぼ、モンゴルの現シャタルの形であると解説されている。
 以前私は、大理国で11世紀に指された原始平安小将棋は、西暦750年
に中国雲南省に、南詔国が存在した時代からあり、それ以前は、チベットを
通りインドから、直接伝わったのだろうと述べた。従って、チベット古将棋
のチャンドラキの駒が、イスラムのシャトランジや、中国シャンチー、朝鮮
半島チャンギと違って、イスラム教の影響を受けていないのならば、写実的
であるのは当然で、そこから来たゲームならば、雲南南詔~大理国の古将棋
の駒も、写実的であろうと、当然推定できると思う。すなわち分類としては、
西暦1010年頃に、日本の九州大宰府に上陸した、大理国の原始平安小将
棋の立体駒は、分類として、チベット古将棋のチャンドラキの類となり、

現存する駒としては、モンゴルのシャタルの駒の範疇に入るもの

だと私は推定する。
 そこでそれを理解したうえで、少なくとも、岡野伸さんのシャタルの駒の
イラストを見ると、

モンゴルのシャタルの駒には、人物や動物の類には、全て顔があって、目鼻
が付いていてその事からも前後の区別が、ほぼ全ての駒について可能である

と私は認識する。従って原始平安小将棋、藤原摂関用高級立体駒は、それを
始めて見る日本人が形だけを見れば、色(たとえば白黒)で、更に区別しな
くても、駒の前の側の向きを、相手に向けて対局する事にすれば、駒の向き
で、敵味方が区別できる事は、

原始平安小将棋、藤原摂関用高級立体駒を、仮に岡野伸さん紹介の、モンゴ
ルシャタルの立体駒に置き換えて、思考実験すれば当然可能と結論される

のではないかと、私は見るのである。従って、どんな将棋の駒を新たに考え
るにせよ、日本人には駒には前後の区別があるべきであり、敵味方を、駒の
向きで区別するのが当たり前と、当然認識させたであろうと、推定もできる
のである。
 なお、チベットのチャンドラキのルールは調べても確定しないが、駒の形
が近いと岡野氏が記載した、モンゴルのシャタルは、シャトランジ型である。
それに対して原始平安小将棋は、副官金将駒のルールからみて、4人制に移
行しやすい、チャトランガ型というように、モンゴルそして恐らくチベット
と、中国雲南とでは、ルールが合っていない。これは、シルクロードに面し
ているか、茶馬古道という、険しい山道を越えないと、通りに出ない山の奥
かの違いなのだろう。すなわち、木村義徳氏の「持駒使用の謎」のような
表現をするとすれば、シルクロードを通って、アラブのシャトランジが、東
アジアに、地理的には東向きに反射して伝わるという、将棋伝来の、チベッ
ト・ラサには有った、”第二波”が、雲南省の南詔国には、8世紀に届かな
かったからそうなったで、充分説明できると私は思う。
 ちなみに、上記のチベット将棋は、歴史的なものであるから問題は起こら
ないが、モンゴルのシャタルについては、何故中国シャンチーのように、イ
スラム教の影響を受けて、立体駒が現代までの間に、抽象化しなかったのか
を、岡野伸さんも、紹介した自著書で不思議がっているように、説明する必
要が出る。しかしこれは、私が思うに、そう難しい話ではないのではないか
と思う。すなわち、

中国と違って、モンゴルとイスラムの国とは、モンゴル帝国・蒙古(元)の
時代に、征服したり、衰退して領土を取り返されている仲

だからである。つまり中国と違い、モンゴルにはイスラムの大国と大規模な
戦闘をした経緯があるのである。そのため、モンゴル民族の領地内で、イス
ラム教文化を拡散させるのは、中国国内と異なり、かなり難しいのではない
かと私は考える。そのためモンゴルでは、チベットから伝わり、中国雲南で
は、大理国の滅亡と共に消えてしまった、写実的な象棋の立体駒が、イスラ
ム教排除の影響で、抽象化しなかったため、今も残っていると理解できると、
以上のように、私は考えるのである。(2017/07/20)