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二中歴の平安大将棋はなぜ68枚制なのか(長さん)

以前このブログでは、西暦1300年頃に指された、普通唱導集の大将棋が
恐らく13升目の108枚制なのは、除夜の鐘の撞く数と同じく、煩悩の数
に由来すると述べた。では、そのもとになった、二中歴の平安大将棋の駒数
68枚には、何か、意味が無かったのであろうか。
 以下は、残念ながら確証は無く、想像の域を脱しない。が、ひょっとす
ると13×13升目68枚制平安大将棋(二中歴)が、成立する直前に、

11×11升目68枚制の前平安大将棋と、言うべきものが試作されていた

可能性が、有るのかもしれないと、最近私は考えるようになった。
 その将棋はひょっとしたら、こちら側から相手側を見たときに、次のよう
な初期配列だったのかもしれない。

香車、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、香車
奔車、桂馬、酔象、飛龍、猛虎、横行、猛虎、飛龍、酔象、桂馬、奔車
歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
空升、空升、空升、空升、空升、注人、空升、空升、空升、空升、空升

あるいは、

香車、鉄将、銅将、銀将、金将、玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、香車
奔車、桂馬、酔象、飛龍、猛虎、横行、猛虎、飛龍、酔象、桂馬、奔車
空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升、空升
歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
空升、空升、空升、空升、空升、注人、空升、空升、空升、空升、空升

なお、上の将棋で不明な駒の動きとしては、飛龍を、
角行動きにした時点で、酔象は、大理国式の角行動きではなくて、中国
シャンチーの象の動きにしたのかも、しれない。酔象は不成りであろう。
つまり、11升目制の将棋が9升目制の標準型の平安小将棋に対抗して、
西暦1110年頃に、旧藤原摂関派によって、一応考えられたのかもし
れないと、言う事である。なぜかと言えば、もともと、旧藤原摂関側に
してみれば、初期院制派の

9×9升目36枚制標準型平安小将棋に、対抗できれば良いのであって、
当時は盤升目の大きな将棋を作る事が、主な目的だったという訳でもない

からである。なお、このようなタイプの将棋が、もし採用されていたら、
特に上の方のタイプだと、もともと駒がぎっしり詰まっているので、後
に13升目108枚制の大将棋は、作りたくても作れなかっただろう。
 しかし、結果として、上記の将棋は、恐らく西暦1110年頃に、
ときの藤原長者には、採用されなかった。
理由は、

当時、関西圏には、中国からの帰化僧が多く、象棋の最下段袖に、馬、
車と並ぶのが、中国のゲーム、シャンチーでは常識

との入れ知恵が、あったからだと、私は推量する。もともと8×8升目
制の原始平安小将棋を、初期院制派の後三条天皇の配下の、大江匡房が
9×9升目に変えたとみられるのも、王将を中心として対称的に駒を、
配置する事が、中国のシャンチーで士駒の真ん中に、玉駒が居るのと、
対応するからだった、はずである。西暦1110年代の当時も、

中国の象棋に対抗できるような、日本の将棋を作るべき

というのが、前提だったのだろう。従って、動物駒が2段で統一されて
いる、上記の11升目制の前平安大将棋も、我々から見ると、一応もっ
ともらしく見えるのだが、シャンチーのフォームとは異なるという理由
で、結局採用されなかったのではないかと、見られる。
 しかしながら、それを構成する駒は、前に、平安大将棋が15升目に
ならなかった理由のところで述べたように、酔の字が悪く、行き所が無
く排除された酔象を除いて、

11×6+2=68枚が、すっかり、13升目制の大将棋へ移されて
使われたのかもしれない。
その結果平安大将棋は、ひょっとして68枚制になったのではないか。

13升目制にした結果、盤に比べて、駒の数が少なく空きすぎている
将棋になってしまった。だが、当時はゲームの質よりも、見栄えで9升目
の標準型平安小将棋に、実際に対抗できるかどうかが、恐らく最優先
されたに違いないと、私は推定する。(2017/09/12)

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