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松浦大六氏所蔵象戯図式(江戸時代)。泰将棋ルールで横龍が無い訳(長さん)

前回述べたように、”水無瀬兼成の将棋部類抄の、泰将棋の表面図のルール
の図示内容には、将棋史に関する情報が乏しい疑いが強い”との事だった。
他方、泰将棋自体は、江戸時代の将棋ゲーム本でも、取り上げられ続け、
たとえば、ものと人間の文化史、将棋Ⅰ(1977)にあるように、表題の、
象戯図式(松浦大六氏所蔵本)でも、初期配列図と共に、駒の動かし方
が、図と文で記載されている。
 ただし、水無瀬兼成とは異なり、江戸時代の将棋ゲーマーは、泰将棋の
駒の動かし方のルールは、それより下位、摩訶大大将棋等に、同じ種類の駒
が存在するときには、下位の将棋のルールと同じという、考え方をするケー
スが多かった。表題の象戯図式(松浦大六氏所蔵本)でも、そのシステムで
ルールが記載されている。であるから、泰将棋の象戯図式部分には、概ね
泰将棋でだけ、現われる駒の動かし方のルールが、説明されている。とこ
ろが、泰将棋でしか現われない駒で、

横龍だけ、象戯図式(松浦大六氏所蔵本)で、説明が無い

ことが判っている。この事の中に、何か将棋史に関連した情報が、
かろうじて微かに、隠れていないかというのが、今回の論題である。結論を
書くと、

摩訶大大将棋の横飛は、もともと横龍で、水無瀬将棋部類抄の時代ないし
その以前に、転記で間違えたのではないか

と、私は疑う。そしてこの事は、摩訶大大将棋の龍駒が、もともと、龍王、
龍馬、臥龍、飛龍の4種類ではなくて、横龍も入れて、5種類有った事を
示しているのかもしれないと思う。つまり、概ね

鎌倉時代中後期から室町時代時代前期(~1443年頃)にかけて作られた
将棋では、龍駒を将棋駒種に、やたらとたくさん、入れる傾向が有った事を、
より強く示唆する材料

ではないかと、私は疑っているという事である。
 つまり、江戸時代の象戯図式(松浦大六氏所蔵本)の著者は、”摩訶大大
将棋に横龍は有る”と、頭の中では記憶していて、泰将棋の所で、その動き
のルール図を、書き忘れてしまった、と私が見ているという事である。なお、
江戸末期に完成したとみられる大局将棋では、横飛の成り駒が横龍という、
密接な関係になっている。よって、

少なくとも、横飛と間違えるとすれば、元は横龍以外に、有り得ないように
私は思う。

なお、横飛の横も飛も、本来は修飾字であって、修飾字を2つ重ねた駒名
は、奔王等極少数で、特徴的である。象戯図式の著者が、思考で落としにく
い不自然性がもともと有ると、私は見る。
 そして、摩訶大大将棋でいわゆる12支駒のうち、龍の種類だけ、5種類
と、飛びぬけて多いという事から、その傾向は、その成立の約150年前
にもおよび、

大将棋に龍王と龍馬が、何時からか導入されるにしても、比較的早くに、
優先的に、奔横か奔王の傍らに、入っていった

と、推定できるのではなかろうかと、私は考えているのである。
 なおいわゆる、普通唱導集大将棋に”飛車以上の強力駒が、出土している
奔横は別として、本当に早期に導入されていたのか”という点について、
過去、溝口和彦氏と私の間で論争になった事があった。私は、蒙古来襲の
頃の、龍神信仰の高まりの影響で、普通唱導集成立の西暦1300年頃に
は、龍王、龍馬を、大将棋には、既に導入させていたという、立場を
今の所取っている。
 他方摩訶大大将棋については、私に言わせると、老鼠の成りが本当に、
最初から古時鳥ではなくて蝙蝠であったのかどうか、太子が何故王子に
なっているのか等、伝承の過程で改ざんが、本当に無かったのかどうか、
かなり疑わしいと、思っている。

恐らく横飛は改ざんではなくて、横龍を単に書き間違えただけ

の疑いが濃いと私は思う。が、そのような変化が、有ったのかもしれないと
思って一応疑っている。思えば、日本将棋にも龍駒が成りにある事。甘露寺
親長の跡取り息子で、皇室にも恐らく顔が利く、東寺の高僧の覚勝院了淳が、
従兄弟の三条西実隆が不成り飛車角駒を送ったときに、丁寧に突っ返したの
は、皇族に、龍神の無い、親父の指していた、不成り飛車角の将棋の存在が、
バレるとまずい等、何かあったのかもしれないとも疑われる。そのように、
多少の想像を膨らませると、龍駒の有無が、将棋の公的な良否判断の、材料
になって、存続か廃止かの運命を、かつては決めていたのかも知れないとも
想定される。よって泰将棋の横龍の、表題に示した上記本の脱落には、少し
注意が必要なように、今の所私は考えているのである。(2017/10/30)

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