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駒数804枚の大局将棋は異制庭訓往来”一年日数将棋”と無関係か(長さん)

本ブログで何回か指摘したように、摩訶大大将棋の19×19の囲碁路と
同数の升目数、361個は、異制庭訓往来の多い将棋に、関連付けるため
のルール設定とみられる。そして、作者に関して本ブログでの見解だが、
水無瀬兼成作とみられる、泰将棋の駒数354枚も、12朔望月日数で、
異制庭訓往来の多い将棋の具体化を、目指したものだと考えられる。とこ
ろで話がそれで終わりなら、”理論通り”で終わりなのだが、江戸時代
成立とみられる、将棋図式に、36×36升目の大局将棋の存在が記載さ
れ、大橋文書として、現に804枚制の大局将棋が知られている。ここで
804という数字は、一年の日数とは違っている。従って、この将棋に
関しては、異制庭訓往来の多い将棋の類型からは外れ、単に、より駒数の
多い将棋の作成を目指しただけという、懸念が生まれよう。では、実際に
は大局将棋は、異制庭訓往来の古事に則った将棋では、無いのであろうか。
 そこで、結論を先ず書くと、

大局将棋も異制庭訓往来を意識したものであり、そこに記載の”多い将棋”
の類である

と、私は考える。前に、本ブログで片側の駒数がほぼ、一年の日数になり、
総計で2年分の駒がある将棋を、試作した事があったと記憶する。

大局将棋も、ほぼ2年分の駒のある将棋を、作成するのが、当初の目的
だったのではないか

と私は現在、推定している。36升目で10段に駒がびっしり詰まった、
将棋を、当初作るつもりだったのかもしれない。ところがこれだと、相手
陣との間に、だいたい16升目段の空き段が出来る。これだと空きすぎる
というので、

歩兵を除けば、片方に1年分、360個の駒が有る将棋を作ることにした

のではないかと思う。その結果、この将棋の駒の数は、片側に360で
はなくて、396枚、総計792個の将棋になった。実際に並べてみて、
これに、片方について4つ程度の仲人を置けば、見栄えに問題が無いと、
次に作者は見たのであろう。それによって、

大局将棋は、だいたい800枚制の将棋になった

のだと私は考える。しかしそれだと、天竺大将棋の犬が抜けているのに、
作者は更に気がついたに違いない。そこで、仲人段の合間に、犬を加えた
のであろう。結局それで、

大局将棋は、804枚制になった

のだと考える。
 この将棋が、大龍の動きに象徴されるように、水無瀬兼成の泰将棋の
動きを他の将棋種に比して、比較的選択する傾向が強い事。猛鷲がその
中でも、水無瀬宮のオリジナル将棋纂図部類抄のうごきの一方と同じ事。
他方金翅が、前田家写本の+++印を、3個駒跳び越えと解釈して、斜
め前ルールを決めている等、将棋纂図部類抄の各巻物を周到に調査して
作成されている事。以上から、水無瀬兼成の泰将棋の拡張を、目論んで
いると推定できる。よって、今述べた解釈が正しいのではないかと、私
は考える。
 以上のように、少なくとも江戸時代まで、日本の駒数の多い将棋は、
暦の一年日数に則ったものに、少なくとも生き残ったものは、限定され
てきたと結論できると、私は個人的には見ている。
 そもそも水無瀬兼成が、将棋纂図部類抄の序文で、将棋のルールが、
日月惑星の動きの道理に従っているとの旨述べているものの、具体的に
は日本の将棋は、お日様(地球の公転周期)への、こだわりが強いとい
う、特徴がある。もともと、その道理の源は、イスラム社会が当時、そ
こでは最先端であった天文学、惑星運行論を模倣して、馬の桂馬動きを、
アラブ・シャトランジで、八方桂馬に替える、口実にするためのもの
では無かったのかと、本ブログでは懐疑的に見ている。しかし、その
コンセプトが、暦法の歴史が厚い中国の、学問のフィルターを通って日
本に入ったため、日本の多い将棋の駒数や、盤升目数を決める口実に、
わが国では変質したように、私には推測された。なおその変質について
は明治維新まで、日本人は結局、余り気がつかなかったように、私には
思える。(2017/11/04)

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