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日本の将棋の伝来のシルクロードは、陸か海か(長さん)

増川宏一氏の各将棋ルーツ成書に、必ず出てくるうたい文句に、”海のシル
クロードを伝って、日本の将棋は、東南アジアから伝来”というのがある。
それに対して、「『中国の将棋が日本に伝わって、日本の将棋になった』と
の説は、陸のシルクロード伝来説である。」と増川氏には評される。本ブロ
グでは、日本の将棋は、古タイ人居住国の、大理からという事になっている。
では、大理国から将棋が伝来したという説は、上記の海説と陸説の、どち
らに分類されるのであろうか。回答を書くと、

 西暦1015年の、周文裔から結果としての藤原道長への、孔雀の贈答の
事実が実は重大で、それと将棋がいっしょでなければ、どちらかと言えば陸
だが、実際には孔雀が居るおかげで、海説に近い

という事になる。本ブログでは、孔雀と大理の黄金将棋は、たぶん
西暦1015年伝来で、いっしょと見る。ので、ベトナム・ハノイから博多
までの航路は、一部、海のシルクロードを使っているという意味で、11世
紀の東南アジア国の、典型例としてたとえばバガン国をとり、バガンから、
ベトナムまでの分を、差し引いて、ハノイから博多だけを考えると、
増川宏一氏の精神で厳密に言うと、

”1/2海のシルクロード説”である

と、言う事になる。なお、陸路のケースも、正しくは陸のシルクロードは
使わない。大理国の大和城からは、開封経由の、シルクロードに合流する道
ではなくて、成都で枝分かれして、南を通る上海への、揚子江沿いの中国南
部の変州路~淮南道という道を、通る事になるのではないかと思う。陸路の
ケースは、何れにしても、日本の将棋の、中国起源派に近いルートに、どの
みちなってしまう事は確かだろう。
 なお、私の手元には、北宋時代の道路図・航路図は無い。がアジア歴史地
図に載っている、唐の時代の道路図を見て、上記の推定をしている。五代十
国の時代等に、戦乱で唐の時代の道が、無くならなければ、ほぼ同じだろう。
 上記で孔雀と、黄金の大理国王室将棋具が、西暦1015年の、京都内裏
の火事見舞い品として、いっしょだったとすると、孔雀は、中国内陸の、
揚子江沿いには、数が少なく、陸路では入手困難なように思える。従って
海路が正解であって、その経路途中の、ベトナムあたりの市場等で、東南
アジア産の孔雀が入手されて、周文裔のハノイから船出の船舶上で、大理王
室の黄金将棋と、合流したのではないかと推定される。従って以上の事から、

将棋具の船積みが、上海付近ではなくて、ベトナム北部の、ハノイ市付近の
港ではないかと、私には推定される

のである。
 逆に、西暦1015年の孔雀の伝来と、仮説黄金将棋の伝来が別のケース
は、ベトナム北部の海岸から、海のシルクロード説と、上海まで中国の古道
を陸路での2つの説が、孔雀の手がかりが無いため拮抗して、事実上、それ
以上解明困難と、言うことになるのではないかと、私は思う。将棋の伝来は

何れにしても、何処からかが大切なのであって、途中が陸・海のシルクロー
ドのどちらかなのかと言う事は、説を印象付けるための、単なる表現方法

とは言えるのではないかと私は思うが、”海のシルクロード”が通常強調さ
れるため、ここでは一応考えてみた。(2017/11/11)

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