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中世、沖縄に日本将棋がなぜ進出できなかったのか(長さん)

現在では日本全国、何処ででも日本将棋が盛んであるが。中国の領土
にも近い沖縄では、それ以前、沖縄将棋と言いえる、中国シャンチー
に近いルールの、象棋が指されていた事が、良く知られている。特に
江戸時代になると、薩摩藩との関連が高くなる沖縄で、江戸時代には
成立していた日本将棋が、沖縄に進出していたとしても、特に不思議
ではないように思える。だが実際には、中国シャンチーがその当時は
存在していて、日本将棋は進出しては、いなかったと一般には見られ
ている。これは、何故だろうかと言うのが、今回の議題である。
 いつものように回答から先に、書きたいところだが、実はこれに答
えるのは、意外に難しい。シャンチーと日本将棋とは、並存したとし
たら、性能は、どっこいどっこいで拮抗するだろうから、日本将棋が
負けるというのが、自明でないためである。以下は仮説であるが、

沖縄には日本の室町時代、15世紀の初頭に中国明朝の国策として、
中国人の知識人が、倭寇に対抗するための、戦略的属国化を狙って、
まとまって沖縄に移り住んでいて、中国シャンチーを先に伝えた。
そのため少なくともその時点で、日本将棋・朝倉小将棋・中将棋が
拮抗していて、優勢な将棋種が存在し無かった、日本の将棋文化
が、福建経由の中国シャンチー文化に勝てなかったため

沖縄将棋は中国シャンチーに類似している、とするしか、説明のしよ
うが無さそうである。ひょっとすると、室町幕府で沖縄に影響力の
有った、細川氏や、その少しあとには九州南部を押さえていたとみら
れる、栃木県佐野市付近が出と言う島津氏が、

比較的中将棋を良く指しており、中将棋の獅子の規約が複雑な点で、
難が有るため、同じ取り捨てゲームの、よりゲームとして平易な
中国シャンチーに、沖縄では駆逐されてしまった

という事も、あるいはあるのかも、しれないと私は思う。逆に少なく
とも、

明朝末に、清に追われて、明側の武家、唐王一族が台湾に逃げ込んだ
とき、沖縄にまで退却、琉球王国に亡命などしていたとしても、その
時点(西暦1683年)で既に、江戸時代に入って、日本では将棋は
日本将棋になっており、この時点で中国シャンチーが、沖縄に伝わっ
たとすると、日本将棋を駆逐するには、明らかに遅すぎ

とみられる。
 何れにしても、沖縄史関連の成書により、第一次首里王国成立直前
に、副国王として明王朝から送り込まれた、懐機と言う名の人物等が
中国シャンチーの伝来者なのかもしれない。
 以上のように、東南アジアの将棋に似たルールの将棋を指している
日本本土とは異なり、沖縄は中国の象棋に類似で有る事。この事から、

”南から黒潮に乗って船乗りがやってきて、極東の弧状列島には東南
アジア系の将棋を伝えた”といった、”船乗り対その島の住人の接触
といった、あるがままの融合文化”という括りからも、はみ出す

形で、一般論として将棋の伝来が行われていると説明せざるを得ない、
典型的な反例を示すものであると、私は沖縄の昔の将棋を興味深く見
る。(2017/11/18)

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