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鎌倉中期、大将棋ゲームデザイナーが麒麟・鳳凰を早期導入できた訳(長さん)

本ブログの見解によると、横行から角行が思いつけ、従って堅行を
思いつくのは容易。嗔猪、猛牛は飛龍、猛虎が十二支駒であるから、
思いつけると考えれば、酔象は1058年には既知であるし、その
他については、概ね、平安大将棋の駒名の組み合わせ変更で作り出
せるので、鎌倉時代の蒙古来襲の頃には、108枚制の普通唱導集
大将棋の駒は、ほぼ作り出す事が出来ていたという事になる。
 ただしこれには、なおも例外がある。麒麟と鳳凰を将棋の駒名に
する事に、鎌倉中期のゲームデザイナーが、なぜ気が付けたのかと
いう点である。ちなみに古語辞典を調べてみると、日本書紀以降、
鳳凰は麒麟と対でしばしば使われるため、麒麟が将棋駒名に採用さ
れれば、鎌倉中期には鳳凰も採用されると考えて、良さそうである。
つまり、鳳凰・麒麟は他の駒名の字を入れ替えても、作れる単語で
は無いのに、本当に安土桃山時代ではなくて、鎌倉時代の中期に、
思いつけたのであろうかと、いう疑問である。以上の事から、今回
の論題は、

鎌倉時代に麒麟という名の駒名が、早い時期に考え出されていたと
すれば、それはいったい何故なのか、

という事となる。
 そこで何時ものように、結論としてまず回答を書くと、

鎌倉時代中期時点で、麒麟が龍馬と類似語であった為

だと私は考える。今では、龍馬と麒麟は余りつながらないが、

鎌倉時代には、これらが「名馬」の意味でどちらも、使用されて
いたため

と、言う事である。なお、名馬の方の麒麟は、古語辞書によると、
”騏驎”と書く場合が、あるらしい。尚以下は私の想像だが。大大
将棋に馬麟という駒が有る。これは騏驎と麒麟が同音で紛らわしい
ので、騏驎を指すと言う意図で、馬麟という駒名を、恐らく戦国時
代の、書家の大大将棋デザイナーが、考えたのではないかと思う。
 以上のように古語辞書から明らかに、麒麟も龍馬も名馬の意味な
ので、龍馬が、龍王や飛龍と、桂馬の字の組み合わせを入れ替えて、
蒙古来襲の頃までに考え付ければ、

龍馬から麒麟が思いつけるのは、鎌倉時代の人間なら、今の人間と
違ってむしろ容易

だと私は見る。そして麒麟が思いつければ、鳳凰は、日本書紀や
今昔物語で麒麟と対で使われるので、鎌倉時代中期にも、鳳凰とい
う名の駒が、麒麟と対位置に作れるだろうと、言う事になる。
 ちなみに、安土桃山時代の将棋の文献である、水無瀬兼成の、
将棋纂図部類抄によると、後期大将棋の成り駒は、酔象、麒麟、鳳
凰の3枚(と、恐らくは鎌倉出土駒から見て、歩兵)との事である。
ところが、後期大将棋では、これら酔象、麒麟、鳳凰3枚は、並ん
で配列はされない。酔象だけ2段目で、麒麟と鳳凰が3段目なので
ある。それに対して、本ブログで紹介した、西暦1300年頃の、

仮説普通唱導集大将棋では、酔象、麒麟、鳳凰が2段目中央に、
並んで配列される。

成れる駒の配列が、整然としているというのは、だから本来の
大将棋だという証明にとって、決定打にはならないのかもしれない。
が、少なくとも、後期大将棋よりも、私の推定した大将棋の方が、
形が良い事だけは、確かなのではないかと考える。
 なお、駒の動き自体は、本ブログでは、西暦1300年頃の酔象
は、中国シャンチーの象とほぼルールが同じとの立場を取る。つまり、

簡略化して言うと、酔象、麒麟、鳳凰とで、ほぼ同格の動きの駒

にもなっているのである。
 以下書き出すと、私の場合思い入れが多いため、きりが無く、
長くなりそうである。そこで、今回はこの辺で、本議題に関する
書き込みは一旦、打ち止めとしておく。(2017/11/27)

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