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麒麟の成りは何故獅子になったのか(長さん)

前回、普通唱導集、表駒24種は、22番目と23番目の麒麟・鳳
凰が、龍馬から、連想容易なので、概ね蒙古来襲時代までには、
全て成立し得たとの説についてのべた。なお25番目として、酔象
の成りの太子がある。本ブログでは、酔象の成り駒であり、仏教の
強かった日本の中世社会では、さまざまな太子のうち、酔象に食い
殺されそうになった釈迦の、俗名に付いていた、太子(王子)が、
釈迦の事を隠然と現していると、その当時の将棋指しには、主に
イメージされていたとの説を取っている。つまり、

酔象の成りの太子は、釈迦の事である

とみていたと、推定するわけである。成立は、蒙古来襲時。神仏に
国家の未来を幕府・朝廷が両方で祈る過程で、釈迦の国家守護か、
その力の偉大さを当てにして、ご利益を期待し、当時の大将棋に
”酔象”として、玉将の直ぐ前に加えられたと、前に書いたが、
ここでは推定している。その結果、悪党の類である横行が、
袖から2列目の前段(3段目)に移動させられると同時に、
その内側に、堅行と角行が発明されたというのが、本ブログでの考
えである。以上で25番目までは説明できるとして。今回は、
ラスト残り26番目の、

成り麒麟の獅子の起源。すなわち獅子がなぜ、中将棋、大将棋、
将棋纂図部類抄の摩訶大大将棋で、麒麟の成りでもあるのか

について、考える事にする。結論から何時ものように書くと、

麒麟の位置が、西暦1300年時点の普通唱導集大将棋で、成ると
太子になる、酔象の隣に、たまたま在ったから

だと私は考える。なお本設問に関して先行研究としては、大阪電気
通信大学の高見友幸先生による「狛犬と獅子とは対なため、摩訶大
大将棋で、狛犬が有れば、獅子の存在は必然」という論がある。た
だし、この論では、初期配列の獅子が存在する理由として、正しい
のかもしれないが、

麒麟の成りも、何故獅子にしたのか

という点では、なおも考察が必要なのではないかと私は思う。そこ
で、仮にもし、この駒が発生した将棋の、もともとの麒麟の位置が、
酔象の隣だと、麒麟の成りが、なぜ獅子になれるのかと言う事になる
のだが、以下の理由であるというのが私の考えである。その訳とは、
酔象の成り

太子を釈迦如来だとみると、獅子吼(ししく)という単語が、信心
深い中世の日本人には、ただちに連想できると考えられるから

だと、私は思うからである。その他、釈迦に限らず高僧の座る席を、
当時は獅子ノ座と呼んでいたため、この獅子ノ座という単語からも、
連想できると思う、つまり”太子”の有名人の代表が、酔象に殺さ
れかけた、古代インド王国の釈迦なら、隣駒の麒麟の成りは、隣の
酔象の成りに合わせて、獅子と名づけるのが妥当と、鎌倉中期、
蒙古来襲時の頃、見られたのではないかと私は思う。
 そもそも、獅子奮迅という言葉が、源平盛衰記等でも、龍馬と、
酔象という単語で対に出てくる事もあり、獅子は、将棋の駒として
取り入れられる可能性の高い、名前ではあった。その他、高見先生
の言うように、別種類の将棋ゲームでも、獅子という名称は、使わ
れていたのかもしれない。しかし、それだけでは、麒麟の成りにも
しなければならない必然性は、充分ではない。ところが、
仮説普通唱導集大将棋では、酔象の成りは、今度はルールで書くと、


玉将や王将の動きをする。それだけでなく、取られると玉将が無く
ても負けにならない、二枚目の玉駒でもある

”になっていた。そして、このブログでは、その右と左の駒の成りが、
それぞれ

玉将や王将の動きをする。それだけでなく、全方向に歩むだけでな
く、走る奔王に成る。

玉将や王将の動きをする。それだけでなく、玉将の動きを2回相手
の手を挟まずにできる。

になった。つまり以上のような、互いに形式が揃った

計3種類の成りが、並んで作られたはずだと、本ブログでは推定する

のである。獅子はもともと、自駒は跳び越せ無かったはずだと、個人
的には思う。そうでなければ、同じようなルールを、どこからか、も
ってきて、荻生徂徠が、江戸時代作の広将棋の2回動き駒で、採用し
ないように思えるからである。つまり、麒麟の成りは、もともとは、
正確に”玉将の動きを2回繰り返す”と、表現されたはずだと、この
ブログでは独自に推定する。これは、自駒も跳び越せる、普通の獅子
のルールよりは、自陣に居るとき、少し動きが悪い、今のと、ほぼ同
じと言えば同じの、良く似ているが、少し違うルールである。
 以上のように、繰り返すとこの3種類の成りは、3種類有るだけで
なくて、ルール・ブックに書くと前半が”玉将や王将の動きをする。
それだけでなく、”と表現される形式に、完全に統一されていたはず
だと、このブログでは推定するのである。だから、

鳳凰の成りがスーパー玉将(王)と表現される、奔王であるとすれ
ば、麒麟の成りも、スーパー王とイメージされる駒名であるべき

であった。そこで、この事からも

獅子吼という単語が、獣の中で、獅子が王者である事をも意味してい
る事から、王のイメージと獅子とがここでも繋がり、麒麟の成りが獅子
に確定した

と私は、釈迦説法→獅子吼→獣の王様とつなげた、デザイナーの思考
過程を推測するのである。つまり、

安土桃山時代に水無瀬兼成が、将棋纂図部類抄の後期大将棋の成りに
ついて記載した”成り駒3枚”は、本物の大将棋、すなわち仮説普通
唱導集大将棋では、やはり偽物の後期大将棋とは違って、本来一列に
並んでいたはずだ

と、私は思う。そして、恐らく麒麟の成りが獅子なのは、酔象の成り
の太子を、中世の日本人は、酔った象を最も有名にした、殺人未遂被
害者、釈迦の隠語のように見ていた事の、動かぬ証拠でもあるように、
私は考える。以上のことから、冒頭の結論のように、推定されるとい
う訳である。(2017/11/28)

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