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増川宏一著将棋Ⅰ(1977)に記載された”タイ将棋”の変遷記録(長さん)

増川宏一氏著書のものと人間の文化史、将棋Ⅰを所持しているとすれば、
それを読んでくださいで、以下の文章は不要なのだが。この本には日本
の将棋だけでなくて、外国の将棋史についても、他の著書に無い情報が、
書いてあるケースが多い。
 最近私が気が付いた中で、重要事項と思われるのは、タイのマークル
ックの駒の動かし方について、ルールの変遷史の情報が、ちらりと、書
いて有る所である。本ブログでは、日本の将棋は、タイのマークルック
とは、兄弟関係にあり、タイのマークルックも、大理国の象棋の子と、
いう立場を取っている。が、

以下の将棋Ⅰの記載は、この説にとって、とても有利な情報

である。情報の出所だが。詳しい経歴は、この成書だけからは不明であ
る。が、タイのマークルック史を少なくとも、研究している現地の人物に、

チバラント・チャンドラタットという人物が、1970年代におり、

この人物から、増川氏が聞き取った情報のように、将棋Ⅰからは読める。
チャンドラタット氏によると、どうやら、

マークルックの根(象と、将棋Ⅰでは書かれている)は、昔は銀の動き
ではなくて、角行の動き

だったとの事である。この説は、大理国の象、興福寺出土の成らない酔象
の動きを角行と見る、本ブログの立場を支持するものである。正しくは、
マークルックの根(現在の象)は、大理国で、角行動きの象、銀将動きの
銀将に分岐したあと、銀将の動きの方を再採用したと、本ブログでは見る。
 次に、

マークルックの馬は、昔は桂馬と香車を組み合わせた動きだった

との情報を増川氏は、チャンドラタット氏から、得たようである。
 将棋Ⅰの記載は良くわからないが、馬の古い動きは、スペインの、
古大将棋のグリフォンのような、タイプの動きと、チャンドラタット氏
は言ったのであろうか。あるいは、私流に良いように解釈すると、

マークルックの馬と舟は、それぞれ昔は桂馬と香車の動きだった

という話の、誤伝なのかもしれない。こうなると、古マークルックの
ルールは、種(副官駒)と、相手駒を取るときの貝(兵)を除いて、
ほとんどルールが原始平安小将棋と、同じになってしまい、

大理国将棋が親で、平安小将棋とマークルックが子供という説にとって
誠に都合が良いようにも、すくなくともいっけんすると見える

のである。ただし、チバラント・チャンドラタットという人物が良く見
えないで、議論はこのあたりで、今の所行き止まりだ。
 だいぶん寒くなってきた。体を温めるために、以上のように心理的に
盛り上げたところで、今回のこの論題を終わりとする。(2017/12/13)

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